Page2
なんとなく
このページは、過去の旅で印象に残ったことをなんとなく綴るページです。

飛行機の中で遭遇した様々な事。

飛行機の中での出来事で一番大変だったのはこれだと思う。
キャセイ航空で、成田から香港経由でフランスに行った時だった。
成田に着いて見ると、キャセイのパイロット組合のストの為、
中国東方航空という機材になるとのアナウンスだった。
まあ飛べばいいか?見たいな感じで乗り込むと、エアバスの
一番古い機体だった。ヘッドフォンもTVもなし!

香港からは、やりくりしたジャンボがパリまで飛ぶとの事。
図で見ると香港から直線で北に上がり、モンゴルのウランバートルを
目指す。左に旋回して、ロシア領に入り西へ向かうルートである。
中国では8000mちょい、モンゴルでは9000mちょい、ロシアでやっと
10000m上空を飛ぶ事になる。

飛び立ってすぐにジャンボは揺れ出した。それも、上下左右にである。
一番後の何番目か前に座っていたので余計に揺れるのだ。
アナウンスがあり、アテンダントも全員着席/シートベルト締めた。
その内収まるだろうと思っていたが、全く収まる気配はないどころか、
どんどん揺れがひどくなっていく。
魚がシッポをふって泳いで行く時のようにガガガガと左右に激しく揺れる。
画面で見ると高度は8000mちょっと。

皆ひたすら耐えている・・。その内真ん中最後部に座っていたアフリカ系
の様な感じの女の人が何やら唸り出した。「・・〜xx-\\~~//]
どうも何やら呪文かお経の様に聞こえる。結構大きい声でだ!
しかし、誰も文句も言わない。その内、その人がゲーゲーとやりだした。
ゲーゲー言いながら、お経を唱え、この世の終わりのような感じになってきた。
僕も、左右に魚の尻尾のように振れる胴体がミチッといったら終わりだな〜と思った。
北京あたりを越えて少し楽になってきたが、思い出したように揺れる。
結局完全に普通の状態になったのは、ロシアへ入って10000m以上に上がってからだった。
いや〜あのルートはやばい。



細かい事は忘れたけど面白かった事


ヨーロッパのブダペストだったか、からアムス経由で帰ってくる時、
飛行機が遅れて中々飛ばなかった。(マレブハンガリー航空)
すると、僕の隣で大きな茶色の皮のだぶっとした鞄を抱いて座っていたおじちゃんが、
喚き出した。早く飛べ!何してるんだ!の様な事を言い出した。
良くある図であるが、その後、この人とんでもない事を言い出した。
「いったい、この飛行機はどこへ飛んで行くんだ!?オレは家に帰りたいんだ!」
「早く家に返してくれ!」などと言っている。隣の僕に、こう聞いてきた。
「この飛行機はどこ行きなんだ?」と・・・・。
こりゃ、牛一頭だった。「も〜」である。すぐ教えてあげたけど、どうでも良いけど早く飛べ!
のようだった。




KLMで

どっかへ行く時だったと思う。その飛行機の最後列のセンターゾーン右側に座っていた。
あたりは、インド人だらけ!前の方には、白いターバンを巻いたシーク教徒もいた。
僕の隣はインド人の老夫婦だった。食事の時間になって、日本人のアテンダントがカートを押して
やって来た。鳥とビーフどっちにします、のような会話があり、ビーフを頼んだ。
すると、隣のインディアンが牛はだめだから野菜か何かにしてくれ!とリクエストを出した。
事前の申請があれば、ある程度確保してあるのだろうが、急だったので、「調べてあるようでしたら
お持ちいたします。」と言っていた。
僕が食事を終わるころ、彼らの野菜バージョンが届いた。僕は、トレーを返却し、終了した。
すると、隣の親父が僕にこう言った。「オレは見た、お前がビーフを食べる所を・・」
そんな事言われたって、ヒンズーじゃないもん。そんな、脅かしにひるむもんか!

食事が終了し、しばらくするとアイスクリームの時間になった。棒アイスである。
隣はこう言った。「卵を使ってあるかどうか、書いてあるか見てくれ」と。
結局、このしとたちはベジタリアンだったんかもね!

食べる時間が終了し、皆トイレに行きだした。
5〜6列前の巨大な婦人が座席から立ち上がったのが見えた。
「えっ!」あの人どうやって座っていたんだろう?座席に入らないと思うけど・・・。
通路に出て、トイレに行こうと歩き出した。何と、通路両側の座席にお尻がはまって進めなくなっていた。
体を左右に振って前に行こうとするも、はまり込んだお尻は、あつらえた様にぴったりで進めないのだ。
笑うに笑えなく・・でもその内がむばって歩き出したのだった。ジャンボの通路ってそんなに狭くないと思うんだけど。

ある日のデルフトで

オランダのデルフトには何回も泊まっているが、そこのほぼ中心に、カフェド・ヨーファーと言うカウンターのビアバーがある。
ここは、スキンヘッドのルーツというのがバーテンをやっている。ただ当時は、本人の勤務は週3日だけで、あとは、別のスタッフだった。
ある夜、貸自転車で店に行った。ルーツは?と聞くと、10時過ぎに来ると言う。しばらくビールを飲んでいると、4人組の男女が入ってきた。
カウンターに座っている僕を見るなり、日本人?と聞いてきた。そうだ!と答えると、何でも以前、仙台へ、男の方2人が行ったことがあると言う。ほーと言う事で仲良しこよしになった。ただ、発音が悪く、「ソンダイ」と言っていたので、直してやった。しかし、のちのち、酔っ払ってくると、再び「そんだい!」となってしまうのであった。

女の子のうちの一人は片方の男性のフィアンセだったが、もう一人が僕の隣に陣どった。
日本語の「幸せ」と言う言葉を一生懸命覚えようとしていた。興味があったらしく幸せをはじめ、たくさんの日本の言葉を教えた。
名前も、漢字にしてあげた。とても難しい発音で、「イネク・ファン・ズーレン」と言う。ズーレンとはサワーのように、すっぱい飲物のような意味らしい。オランダ人にはファンと言うのがつく人が多い。英語のFromに相当するらしいが・・。
ファン・ゴッホ、ファン・ダイクなど・・・

何だかんだ、話で盛り上がった。途中から来たルーツが僕らを冷やかす。オランダのビアバーでは何も食べないで飲むのがほとんどなので、結構へろへろ気味になってきていたが、彼女は、「今私仕事が無いの!」などとシリアスな話をするので、僕も真面目に聞いてあげていた。ロッテルダムへ出ようかと思っているんだけど・・・など事態は結構深刻なようだった。
しかし、時々「しあわっせ」と言っては気を取り直していた。ルーツは「お前らまとまってしまえ」みたいな事を言って冷やかしていたが、
色々な話が出来るのは、ざっくばらんでとても楽しかった。イネクも楽しそうにしていたが、周りの連中も僕らにヒューヒューと口笛を吹いたり
していたが、そんな気はない僕としては、大真面目にもう一人の女性が、日本の切手は一枚も持ってないと言うので、日本の切手を送ってあげる約束などをしていた。
郵便局で働いていて、切手を集めているのだそうだ。

2時間ほど、皆でわいわいやっていたが、自分は帰る事にし、「俺のロールスロイス持ってこい!」と多少酔っぱらい気味に命令すると、
4〜5人で貸自転車を入口まで持ってきてくれた。しかし、鍵をかちゃっとやるのにコツが必要で、臨時の部下に任せた。
又会えたらいいね!と言いつつ、1分もすれば着いてしまうホテルに向かって、楽しかった余韻を背中にしょって、ふらふらと真っ暗な闇に向かって走り出した。
後ろからは「バイバイ」「See You」などと声が聞こえていた。

日本に帰ってから、一人には切手を送り、ルーツとイネクには、色紙に書いた漢字の名前を送った。
すると、数日後、イネクから、鉛筆で描いた似顔絵と手紙が届いた。
とにかくびっくりした、と書いてあった。あれは、たまたまの事だってあなただってそう思っていたでしょう?と書いてあった。
でも、送ってもらった物に対しては、丁寧にお礼が書いてあった。ルーツからもよろしくという事だった。
もう一人からも、オランダのベアトリックス女王の記念切手が送られてきた。
ルーツは、僕のフルネームを一発で覚えた頭のいいやつで、カウンターに入れてくれたり、写真を撮ってくれたりするいいやつだ。
今はどうなっているのだろう。地元のあんちゃん達のたまり場なので、繁盛しているとは思うが、又行ってみたい場所の一つである。

ドイツの新幹線で

ミュンヘンに泊まり、そこからチェコのへプへ行こうとした時のことだ。
確かミュンヘンからニュールンベルグまでだったと思う。新幹線の自由席の切符を買い乗り込んだ。
座席はほとんど満員で、困っていると男の車掌さんがこっちへ来いと言い、座席を探してくれた。
行ってみるとそこは食堂車だった。木をふんだんに使った居心地の良いデザインだと思った。
端っこの4人座りの向かい合いシートに相席になった。
前にはドイツ人?の女性一人。僕よりちょっとだけ年上に見えたが、そのうちなんとなく話が始まった。
日本人かと聞かれ、そうだと言うと、自分の住んでいる所の近所に日本人がいて、仲良しだと言う。
最近女の子が生まれて・・・・等と話してくれた。
僕の職業を聞かれたので、コーヒーやをやっていて色々な食品やらアクセサリーなどを売っているのだと話した。
そこで、もし僕がヨーロッパでコーヒーやをやるとしたらどこの都市を薦めるか聞いて見た。
その人はこれからパリで5日間ほど過ごすのだそうで、パリが好きなのだと言っていた。
ついでに、僕にこう言った。パリはだめなのは何故だかわかるでしょう?と。
要するに人種偏見があるからでしょう?と言うと、うなずいた。
そこで、ミラノがいいわ!と彼女は言った。その後理由を色々話していたが、プラハもいいんじゃない、と言っていた。
どちらも行った事があるけど、なんとなく自分がそこで店をやっているイメージは湧かなかった。
プラハには当時、自家焙煎店は1軒しかなく、僕はそこのスタッフを知っている。
しかし、コトバというデパート?の1Fに、ドイツ大手のチボーの販売をしているコーナーがある。
しかも、入口をはいってすぐ左側で、最高の場所だった。お客さんも多く、コーナーも清潔できれいだし、販売も美女がやっていた。
一方、自家焙煎店は、どちらかと言うと、私の好きなタイプの店で、ウッディーな小さい店で、中身で勝負の口だった。
細かい事はともかく、そういう会話も楽しいし、今ではいい思い出になっている。