|
あれが恋愛だったのか、ほんというと定かではないけど。
●2001/02/19「GAME」
ちょっと、ちょっとね。ちょっとしたゲームを始めた。
その中身は内緒だ。以前にも、何度もやったことのあるゲーム。これは、自分が前向きでいないと、やりたくってもできないのだ。最近調子がよろしいので、なんかしたいのう、思ってたのですが。ちょうど、手頃に条件がそろったので、はじめたというか、あれよあれよと。始まったです。コレが始まると、今までオトナとしてがんばってきたものが、けっこう台無しになって、自分の無成長っぷりを実感するので、やらずにすむならやらないでおきたいなあ、と、思うのですが。ま、しょうがないね。楽しいよ。
ある目標に向かって、ひたすら立ち向かうのだ。くだらない目標だが。
それを達成するには、おとなしくチャンスを待ってるだけではいけません。自分でチャンスを作って、くじけることなく、前進あるのみ。でも、私はこのゲーム、達成したことがないんだよな。けっこうくじけてしまうし。必勝のノウハウなんてものはないし、どうなってゆくのか、見当も付かん(くじけて辞めてしまう自分は容易に想像できるのだがねえ)。
考えてみると、私はめったに立ち向かうなんて事はしないので(常にのらりくらり。できればクラゲとかになって暮らしたい。)、ちょっとめずらしい事態です。
立ち向かうってな。はたからみてると、見てるだけで疲れちゃうんだよな。マイペースでいいでしょ、とか思って。立ち向かってくと、イヤでも自分のペースをコントロールできなくなるし。でも、マイペースじゃ、結果でるのはきっと人生が終わる時ですからな。それでもいいんだけど、それじゃゲームにならんので、立ち向かうしか無いようです。
あくまで「ゲーム」なので。楽しめればいいな、とは思うけど。さてさて。
●2001/02/23「つなぐもの」
今日は、きげんがいいんだ〜。ずっと、お話ししたーい!と思ってた人と、ちょっとお話しできたから。でも自分が思うようにしゃべれなくて、あえなく撃沈。しっかりしろよ自分!!「メディア」っていろいろありますね。主に娯楽の、さまざまなソフト、ハードを指す言葉として。それはもともと「巫女」とか「巫士」をしめす、「メディウム」から来てるんだそうな(確か)。現世、浮き世の人間達と、違う世界にいる神やら超上的な存在とをつなぐ「媒体」としての存在の、「メディア」。
私を、この世の中につなぎとめている「メディア」って、そう多くはないんですが、今、私が一番興味あるメディアは、この人、「お話ししたーい!と思ってた人」。この人の中身に、なにがつまってるのか、すごく興味ある。仕事仲間ですが、仕事中はなんかしゃべれる雰囲気じゃないし、お昼はいつも別々だし。情報が少ないぶん、よけいに興味津々(年齢もしらん!)。そとふつーに歩いてても、偶然出会ったりしないかなーと、きょろきょろして姿をさがしてしまう。この人は、私の好きなものが、好きかな、この人に世界はどう映ってるのかなって。この人を媒体に、新しい世界が見れたらいいのに。(そう思ってはじめて、今まで私は世界とたいしてつながろうとしていなかったのだな、と気が付いた。)
だからたまにしゃべれると、すんごい嬉しくて、緊張して手が震えちゃったりしてたよ。変なの。
なんでこんなに気になるのかわかんないけど。最初のきっかけはアレだな。下の名前が、私と同じだからだな。タイムシートが並べて置いてあって、おなじ名前だったら、インパクトありませんか?自分とじゃなくても。自分と同じ名前の人って、今まで会ったこと無い(たぶん)から、ものすごくびっくりした。そんで、私はやっぱり自分の名前は好きなので、私と同じ名前を持つこの人も、自分の名前が好きなのかな?名前以外にも同じ所があるのかな?と思ったのです。
それって結局、「この人は私のこと好きだといいな」てことだよねえ。てことは私はこの人が好きなのか。そうか。
仲良くなれるといいなあ。(ここ、その人に読まれるとちょっとヤバいかも?。変な人と思われる〜!)
●2001/02/27「こころのひだまり」
ふふ。「例の人」にっき。今日はなんとかタイミングを計って、自分から話しかけたぞ。かなりどきどきだ。緊張してる自分がおかしかった〜。おだやかな物腰で、しゃべってくれたよ。きゃ。明日も頑張ってみよ。
今朝はなんじゃ!というくらい寒かったけど。夕方帰るころはだいぶぬくかったし、「話しかけ作戦」成功の充実感(もちろん仕事もしたのよん)で、非常にすがすがしく、一日を終わりました。
●2001/03/02
今朝も眠く。二度寝して一本遅い電車で出勤すると(こういうときのために、いつも一本早い電車でいってる)、ちょうど会社の前で「例の人」といっしょになった。そおか、この電車にすると会えるのか。でも会社の最寄り駅はふたつあって、その人は私と違う路線で来てるそうな。ち、いつかさりげなく「駅までご一緒していいですか」作戦を決行しようと思ってたのに。きょうも仕事は忙しかった。
●2001/03/03
「例の人」にっき。今日はちょっとがんばって、いっぱい話しかけてみた。年齢をおしえてもらった。以前の仕事のこととか。仕事の合間に、邪魔にならなそうな時をみはからって話すのでちょっとだけだけど。「下の名前おんなじですよね!」と、聞いてみると、「え?あー、そういわれれば。」とのことでした。アラ(がく)。
なんか、自分に置き換えて考えてみると、特に興味のない人が、ことあるごとに自分に話しかけて来たりしたら、何だろうこの人は、とか思うだろうなー。ちょっと不愉快な人だったりしたら、徹底的に無視したりとかしちゃうよ私は。なので、自分がそう思われるかも知れない、というのは、かなり怖くて、勇気がなえそうになる。今まで、自分がされたくないことは人にもやっちゃイカン、と思ってて、最初の一歩が踏み出せないことが多かったのだけど。踏み出さないことには、好いてもらえるどころか、きっと、存在も覚えてももらえない(=私は居なかったのと同じことになる)。
きっと、私は「例の人」にとって、特に興味もなく、ただの仕事仲間だと思われてるのだろうけど。「なんか変な子」でもいいから、ちょっとでも覚えてもらえるといい。
とりあえず、人に不愉快な思いをさせることのないよう、気をつけよう。
今日はおしゃべりできたせいで、すごく満ち足りた気持ちで帰宅。お話ししたことを反芻して、一人ニヤリとしてみたり。
でも、「お話しできた!」ことよりも、自分が行動したことで、自分が嬉しくなれたことが嬉しくて。もう、人間関係で頑張ったりしたくなかったし、なりゆきのまま生きていけばいいよ・・・と思っていたけど。そんなのはイヤだ!と叫ぶ私が、いる。これは、とてもすごい発見だ。そんで、自分をふるいたたせて、実際につかみ取りたいものに向かって行動できるんだ!ということが、ものすごく新鮮で。私は、私の幸せのために何かできるんだー!という実感が、私をうきうきさせている。
覚えていてほしいなー。それが、願いの全てだ。
私が大事に思う人が、私を同じに思ってるわけではないということを、ここ何年かで学習せざるを得なかった。そのこと自体は仕方ないことだから、忘れて、「そういうもんだ」と納得させてきたけど。それでも望みはつきないのだな。やっぱり私は、私を幸せにしたい。私が私の幸せをあきらめたら、あんまり私がかわいそうだ。
●2001/03/07
「例の人」にっき。今日は帰り、「途中までご一緒していいですか」作戦を決行!ヤー!これはお互いの終業時間が合わないとできないので、チャンスは少ないのだー。「例の人」は仕事早いからいつもさっさと帰っちゃうし、私は仕事遅くて帰れないし(無情)。今日はなんかてこずってはって、7時まえまで残業でした。ヤー!
お話しできたのは10分もなかったけど。あんまりしゃべらない人な印象だったけど、なんかふつーにしゃべってくれて嬉しかったッス!どれくらい嬉しかったかというと、小躍りして歌い出したいくらい。らら〜♪
押忍!!明日もがんばる! え、なにをって?仕事に決まってるじゃないか(はあと)!
●2001/03/14「ビタミン」
一生懸命仕事してても、やっぱりなんか機嫌が悪くて、一日さわやかには過ごせない。ネガティヴなじぶん。ネガティヴなじぶんにかまけていて、「例の人」に対する気持ちもなんかお座なりになっていたのだけど。
今日は帰りがほぼ同じで、「例の人」のがちょっとだけ早くあがって、あと追っかけようか、どうしようか、変な子だと思われるよなあ、とか思いながら身支度をして。でも会社でると姿を探しちゃうし、見つけたら走って追っかけちゃったよ。
ほんとにちょっとしか、話せなかったけど。でも一瞬で空気が変わっちゃう感じ。小躍りはしないけど、ネガティヴでも前に進もうとしてる自分がうれしく、お話しできたことも嬉しく。
一日仕事して疲れて、おまけにネガティヴなのに、ほんの数分話しただけで元気になれるんだから、つくづく、私はいいもの見つけたなあ。みんなに、そういうモノがあればいいなあと、感謝と希望の気持ちを忘れずにいくよ。
●2001/03/21
今日の終業は7時すぎ。もう薄目の上着もいらないくらいの陽気。身軽に動けるのがうれしい。暖かくなって、日中、日が長くなるに連れて夜は短くなってくのに、夜いえに帰るみちすがら、私にはこれから行くところがあるような、これから一日がはじまるような気分になる。実際、自分の時間は仕事終わってからなんだけど。空気にもわんとした厚みが加わると同時に、時間や空間までも膨張していくような錯覚がある。その中で私の気持ちもいろいろ混ざって膨らんでて、出所の分からないものもいくつかある。これから誰かに会いに行かなきゃいけないような、ものすごく誰かに逢いたいような、誰かがわたしのことを待ってくれているような。
昔は、すきなこができるとよく、待ち伏せとかしていた。たのしいねまちぶせ。待ってる間が、とてつもなく。きっと、その当時の気持ちを思いだしてるのでしょう。したいな、待ち伏せ。待ち伏せされてみたい。
●2001/03/27「うつくしいもの」
大阪では、さくらが咲きました。もおそんな時期か。あと数日で4月。3月は会社にいかったりなんだり、わけわからんまんま、去っていってもうた。
いつもお昼ご飯食べる公園でもさくらが咲いてて、ちょっと前には開花を待ち遠しく思っていたのに、なんか知らない間にあっさり咲いちゃって、置いてかれた気分。もおちょっと出し惜しみしてくれるくらいで良かったのにい。だから特にさくらを見ても感想もなく、あっさりとご飯を食べました。
そのかわり、夜うちにかえる途中にみたさくらの木は、かすかに光をともしてうつくしく、ほんの20mほど、塀越しに見えるだけだったけど、永遠に続いていくようで、いつまでも私は歩き続けられるような気がした。永遠に、続いていればいいのにと思った。
うつくしいものに心奪われるというのは、かなしいな。あっさりと、それまでの自分を放り出して、別の世界に行ってしまいたくなる。本当にうつくしいもののまえで、うつくしいと思っている主体はほんとうに自分だろうか。心奪われた「自分」が「自分」であると、誰が言えるだろうか。世俗や浮き世を超えて、ほんとうに力のあるモノはいともかんたんに自分をどこかへ連れていく。
ひとを好きになるというのもかなしいな。自分のよろこびの理由が、誰かに依り、かなしみの理由も依り、全ての感情はわたしの外からやってくる。自分の中身は、いつでも誰かをつめこめるように、空っぽになる。今すきなこがいるわけじゃないけど、そういうことを思ったことがある。ささいなことで嬉しいと思える、実らない恋でもいいと思えるそのこと自体が「自分」に対して残酷で、もっと「自分」を、私は守りたいと思った。
でも、そんなことを考えて自分を守ろうとする自分がいちばんかなしい。
▲
All rights reserved by masa
|