なるとの今までの成長記録と、病気についてそれぞれの岐路にたった時の
ママの日記です。 
 病気が判った時のどうにもならない思い、どこに持っていっていいかわから
ない不安と心配。励ましが励ましに聞こえない、心の狭い自分。そんないろん
な思いと共に、私も成長してきたように思います。
この日記は私の心の成長日記ともいえるかもしれません。

 そして、なるとには1歳8ヵ月離れた年子の妹がいます。病気が判る前にで
きた妹です。病気の子供がいると、躊躇してしまう次の子の妊娠。遺伝の事、
手術時の事、いろいろ考えて、泣いた日もいっぱいあって、お腹の赤ちゃんに
も随分、辛い思いをさせてしまいました。でも、神様のお授けに従って、妹を
無事出産できたことは本当によかったって心から思えます。
今は二人の娘に囲まれて幸せいっぱいです!

 なるとはいつも元気いっぱい!たくさんのお友達と大好きな妹と、毎日元気
に遊んでいます。2002年4月からは幼稚園に入ります。

(偽名や生年月日を明らかにしていないのは、手術もまだですし、病院も確定
していないので、いろんな意味でのトラブルを防ぐためです)  
平成10年3月生まれ。女の子。
 1歳0ヵ月の時に突発疹で診察を受け、心雑音を指摘され、紹介された総合
病院で、病名が判明しました。

 健康状態は常に良好。やや痩せぎみかもしれませんが、身長は大きめです。

ただ、幼稚園年中から、中耳炎をくり返し、今では蓄のう症も患っている為、
多少、風邪も引きやすいです。 
2003年の3月、5歳の誕生日に、カテーテル検査をしました。
欠損は10ミリあったにもかかわらず、血液の逆流はみられず、奇跡的にも
手術適応外となりました。ただ、親としては、10ミリと言う言葉に不安は
拭い切れない状態です。
現在は1年に一度の検診を行っています。

身長
(センチ)
体重
(グラム)
誕生
50.5
3.120
1ヵ月
52.8
4.060
3ヵ月
57
6.000
4ヵ月
63
6.185
5ヵ月
65
6.500
10ヵ月
71
7.900
1歳6ヵ月
81
10キロ
3歳0ヵ月
91
14キロ
欠損孔
(ミリ)
身長
(センチ)
体重
(キロ)
検診日
1歳0ヵ月
12
75
8
2歳0ヵ月
10
85
11
2歳4ヵ月
9
87
12
3歳2ヵ月
97
15
2001.6.12
3歳6ヵ月
8
100
15
2001.9.29
3歳10ヵ月
エコー無し
103
15
2002.2.7
4歳0ヵ月
8
104
15
2002.4.3
4歳4ヵ月
エコー無し
106
16
2002.8.2
4歳7ヵ月
エコー無し
107
16
2002.11.9
4歳8ヵ月
8
107
17
2002.12.14
2001.9.29検診結果
カテーテル検査に関しては、今までの経過と心電図、レントゲン、エコーから判断して、単純な心房中隔欠損症以外の症状は考えにくいと言う事で、子供の負担と、リスクを考え、行わなくても手術に踏み切れるという所見をもらいました。
 ただ、手術でのリスクを減らしたいと考える場合は、親の希望で、
検査を行う事は可能という事でした。
2002.2.7検診結果
はじめて、主治医ではない先生の診察でした。 
聴診器では心雑音は確認できるが、レントゲンと心電図からは、『心房中隔欠損症』の独特の形が確認できないと言う説明でした。
ただ、今回はエコーがなかったし、今までのエコーの結果から、『心房中隔欠損症』の診断を受けているのだから、間違いはないのだろうけど・・・と、何か、心配になってしまうような発言。 
 今回の先生からは、カテーテル検査をして、確認すべきという、今までとは全く反対の診断が下されました。悪く考えれば、他の合併症がある可能性も否定できないかも??と・・・
 結局、カテーテル検査は逃れられないのかも・・・
就学前までに結果を出しましょう・・ということでした。
2002.4.3検診結果
転院を考えつつ、県内にある残り1箇所の病院に診てもらってきました。

結果は『現状だけを診てみる分には、当方では手術適応外です。お子さんはこのまま症状のでないまま生きていける可能性が高いと思われます。今後の経過観察を怠らないようにすれば大丈夫でしょう。もちろんお産もできますよ』

と言うことでした。

最近の検診結果や欠損の大きさから、そういう判断もあるかもしれないという、期待のようなものもなかったと言ったら嘘になりますが、正直、うれしいという、気持ちは湧いてきませんでした。

確かに8ミリといったら、とても微妙な大きさだと思えます。そして、今回の先生にも、レントゲンも心電図もまったく症状がないとの指摘を受けました。普通の健常な人よりも正常な心電図にも見えるそうです。

手術をしなくて済めばそれはうれしいことかもしれません。医療過誤があるのでは・・・などといらぬ心配も消えます。でも、一生、いつ悪くなるかわからない心臓を持って生きていくことは本当に幸せなのか、悩んでしまいます。普通に生きていけたとしても、人より息切れがするかもしれない。カケッコもマラソンも苦手かもしれない。ずっとやせっぽっちで、風邪も引きやすくなるかもしれない。成人して、症状が出てきて、手術・・・なんてことになったら、もっとかわいそうになるのでは・・・考え出すとキリがありません。

1歳から手術は絶対と思って、ずっと育ててきました。去年は手術の予約までして、キャンセルにこそなりましたが、一時はすべての覚悟を決めていました。あの時、キャンセルしてなければ、こんな結果を聞けることはなかったと思うと、何かの導きをも考えてしまいます。

病気が判明した頃はキズを追わせてしまうことに、とにかく申し訳なく感じていましたが、いつしかその思いは『本当の健康体をこの子へあげたい』というものに変わってきていました。そして、手術するに当たり最大限のことをしてあげたいと思い続けてきました。
今はとても複雑な心境です。もちろん、喜ぶべき結果であり、悩んでいることは贅沢なことともいえるでしょう・・・

とりあえず、この子にはカテという機会がまだ残されていますので、その結果に、善かれ悪しかれ、何かしらの安心の材料をもらえるように期待したいと思います。


今回の病院は、距離は50キロ程しか離れていませんが、家を8時に出て、帰ってきたのは夕方5時でした。とんでもなく待ち時間が長く、私一人で子供二人を連れて行ったので、まさに地獄でした。妹は車に酔って、行きも帰りももどしてしまうし、病院では眠くなってもうまく眠れず、ぐずり始めるしで、最悪でした。予約はまったくとれないシステムなので、毎回、こんなに時間がかかるのかと思ったら、。

2002.8.2検診結果
久しぶりの主治医の検診でした。今回はエコー検査はできませんでしたので、欠損の大きさはわかりませんが、やはり、心電図にもレントゲンにもはっきりした症状はあらわれておらず、心臓の肥大が治まって来ていると言うことでした。

前回の先生からの所見の違いも説明してもらいましたが、良い方向にむかっていうる可能性も強いということで、カテーテル検査をすすめれました。つまりは症状が変わってきているという点での所見の違いだったようです。

前回の検診では病院や先生に対する不安もあったのですが、今回初めて、主治医から「手術はボーダーラインですね」という言葉を聞けて、少し安心しました。

カテーテル次第ではまだ、良い結果も悪い結果も想定できる訳ですが、期待を込めて望みたいと思いました。カテーテルは10月まではいっぱいということで、11月以降になりそうです。

また、J医大系列ということで説明をもらったところ、心配なら、どこにでも紹介してくれるとのことでした。この病院は『開放型病院』といって、診療所やクリニックをはじめ、他の病院とも連係の元、治療をしてくれるというシステムをとっているので、もし、別の病院で手術ということになっても気まずい雰囲気にはならなくて済みそうです。

なるともすっかり検査なれして、レントゲンも心電図も一人で部屋に入っていって済ませていました。お年頃のようで、若いお兄ちゃんが担当だと嬉しいようです。
2002.11.9検診結果
主治医の検診でした。レントゲンと心電図はまったくかわりなし。前回と変化はないようです。この秋にカテーテルと思っていたけれど、なかなかできなかったので、早速予約を・・・と思ったら、
『12月にエコーをとって、カテーテル検査が必要かどうかを、判断したい』
と言われ、『へ?!』といった状態になってしまいました。
『余りにも微妙。カテをするかも微妙』とのことでした。
それでも、やっぱり検査しましょうと言われてからでは遅いと思い、予約はとってきました。3月の春休みです。この予約もどうなることやら、なるとの体はいったいどうなっているのでしょう・・・
帰ってからお父さんに報告すると、
「なんでそんなに毎回、言うことが違うんだ。絶対に手術だってあんなにも言っていたのに・・・」
先生の話を聞いていないお父さんはさらに困惑していました。なるとは結局、カテーテルをするのか、手術をするのか、全く先がみえなくなってきました。
喜ぶべき傾向にあることは間違いないのかもしれません。絶対に手術と言われ続けても、3歳過ぎからでも奇蹟が起こるかもしれない一つの貴重な事例になってくれることを願うばかりです。がんばれなるとの心臓。もっと奇蹟を起こしておくれ!

2002.12.14検診結果
 カテーテル検査が必要かどうかというひとつの節目になる検査でした。結局、エコーの結果も前回とあまり変化が見られないという事で、手術もカテーテルも微妙な位置付けということで、『カテーテル検査 決定』という結果が出ました。
「あ〜〜、やっぱりそうきたか・・・」という気持ちと
「よかったかも・・・」と気持ちが入り交じりました。

 カテーテル検査は確かにやらなければこしたことはない。ほんの少しであってもリスクはあるし、子供に自分が病気という事をあまり認識してほしくない、という思いもあって逃れたいって思っていたのも正直な所。
 でも、その反面、ホントにカテーテル検査無しに、もっとも手術に適しているという年代を過ごし切っていいのか・・・って不安もあった。だから、カテーテル検査をしておきましょうって言葉を聞いた時、がっくりきた反面、少しほっとした気持ちが湧いてきた。マジに今度こそ、乗り出すんだなってなんとなくドキドキ感と、あ〜やっぱりこれでいいんだよなって言い聞かせたい思いと、なんだか、複雑な気持ちで車を運転して帰ってきました。

 先月、お願いした通り、予約は3月。まだまだ、時間があります。
なるとも「入院するの?」って聞いてきたので、
「3日間くらいね。ここのところを調べてもらうんだよ。(心臓を指差して)でも、春になってからだから、まだまだだよ。その時がきたら、一緒に病院にお泊まりしようね」と話をしました。
なるとにとって、毎回の検査も今度のお泊まりもちょっとした遠足気分。自分の体に大変な事がおこっている事はみじんも感じていない。なるとの無邪気な顔を見て、このまま、この子が自分の体に自信を持って生きているように、この子の心臓も自信を持って前進してほしいと強く思いました。まだまだ、奇跡を信じて見守りたいと思います。
なると』が産まれた日
1998.3
病院に入って、5時間で産まれました。産まれる前、2時間は、この世のものとは思えない程の痛み・・・途中、何回もいきんじゃいけないところでいきんでしまい、赤ちゃんを苦しめてしまったみたい・・・赤ちゃんが凄くがんばってくれたんだね。ありがとう!出産はやっぱり、感動だね。生まれた瞬間、とてもホッとしたんだけど、顔を見たら、とても愛おしく感じたよ。すくすく、元気に、思いやりのある子に育ってね。
心臓をはじめて指摘された日
1999.2
風邪を引いて、近くの産婦人科に診てもらった。聴診器を胸に当て、『この子、心臓が悪いのか?』と聞く先生。まったくあり得ないと思って『いいえ』と答えた。『どうしてですか?』と聞くと、『いや、心雑音が聞こえるね。喘息かもしれないし・・・でも、一度小児科で診てもらいなさい』
家に帰って、パパにも報告した。でも、ぜんぜん、信じられないよ。こんなに元気だもん。多分、大丈夫だよね。
近くの小児科で診てもらった日
1999.3
ファンヒーターでやけどをしたので、心臓も一緒に聞いてみた。なるとはワンワン泣いていて、先生は『これくらいの心雑音は赤ちゃんなら、珍しくないよ。なんでもないね!!大丈夫!』よかった〜〜。やっぱり、なんでもなかったんだ!!これで安心。
突発疹で別の小児科へ行った日
1999.4
聴診器をいつまでも慎重に聴いている先生。『この子、心臓が悪いって言われたことは??』またしても・・・
『総合病院を紹介するから検査してもらいなさい。』あ〜〜やっぱり、だめなのかな・・・ホントに悪いのかな・・・でも、大丈夫だよね。
総合病院での結果が
    出た日の5日後・・・
1999.4
 『心房中隔欠損症』と診断された。大丈夫と信じていただけにショックだった。いろんな人が励ましてくれる。でも、励まされるとそれが現実なんだって言われているみたいで、余計つらい・・・病名が頭の中をグルグルと駆け回っている。気が付くと、どっぷり深みにはまっている。パパは平然を装っていたが、ママが傷が残ることを心配して話題にしたら、涙ぐんでいた。パパはママを支えようと我慢してくれているんだ。
 一緒にお風呂に入って裸の胸を見たら、『ここに、大きな傷がついてしまうのか・・・』って・・・子供の前なのに、じわじわと涙が込み上げてきた。本当にごめんね。健康な身体に産んであげられなくて・・・でも、これから、パパとママで、がんばるから、なるともがんばっていこうね。
 手術は3歳以降。今はとにかく先の辛い事は考えないようにしたい。私がメソメソしてしてもどうにもならない。お腹の子にも差し支えるといけない。パパと一緒にもう一度、先生に聞きに行こう・・・
パパともう一度説明を
     聞きに行った日
1999.5
手術の成功率は99%。傷は大きく残ってしまうと言われた。先生は話しやすく、心臓の専門医で、少し安心した。今は、とにかく元気だ!突然悪くなることはなさそうだし、くよくよせずにがんばりたい。この子のパワーで少しでも孔が小さくなりますように・・・
インターネットでいろいろ見てみた。わからないことがいっぱいだ。もっともっと、勉強しよう!
二人目妊娠について考える・・・
1999.5
病気が判明した時、既に二人目を妊娠していました。〜

検査や手術のこと、これからの事、いろいろ考えると、二人目の妊娠は間違いだったのだろうか・・・って考えてしまう。諦めた方がいいのか・・・でも、もし、病気が判ってからでは、二人目を作ることをためらったかもしれない。この子をひとっり子にさせないために、神様が早くに授けてくれたのかもしれない・・・今はそう思うしかない。
転院を考えた日
2000.3
今の病院は手術痕が大きく残ると言う。鎖骨からみぞおちまで・・・Tシャツでも見えてしまうって。でも、小さく手術できるところもあるかもしれないと思い、市内にあるもうひとつの先天性心疾患を診てくれる病院に聞きに行くことにした。
結果はそこの病院でも外科技術は同じだが、東京の病院に行けば、胸の谷間、4センチ程度でできるという。びっくりした。そんなに技術に差があるなんて、思いもしなかった。どうして前の先生はそういうことを教えてくれなかったのだろう・・・傷は小さい方が絶対にいいはず。女の子だし。この子にできることは全部、やってあげたい。東京に行くことを考えてみよう・・・
東京の病院での
カテーテル検査の3日前の事
2001.6
〜次の検診で、東京の病院でのカテーテルと手術を決めました。〜

突然、前の主治医から電話があった。

先生:『最近、検診に来てませんが、お子さんは大丈夫ですか』
   そう、主治医には報告せず、黙って病院を変えてしまったのだ。

ママ:『申し訳ありません。カクカクシカジカ・・・ということで、東京の○○病院を紹介していただき、3日後に出発します』
   と説明した。すると、

先生:『○○病院ですか・・・お母さん、臨床実験に使われますよ。東京までわざわざ出るなら、私がもっと信頼できる病院を紹介してあげますよ。よく、考えて!』

ママ:『でも、○○病院以外で手術をしたら、もう、戻ってきても検診は2度とできないって言われたんです。他に地元で心臓を診てくれる病院はないし、後々、心配です。先生には黙って転院してしまったし・・・』

先生:『大丈夫ですよ。私がもう一度診ますよ。お母さんが本当に行きたい病院にしたほうがいいですよ。私の娘が同じ病気でも私はあの病院には預けませんよ』

この最後の言葉が私の胸に刺さった。私もあの病院には行きたくなかった。手術の入院期間もたったの7日間。予約にも4ヵ月もかかるし。でも、地元の病院に何処にもかかれないような状態にはできないと思って、そこに決めてた。
母親としての妥協を指摘され、反省せざるを得なかった。
そして、神のお導きの様なものを感じた。もう一度、よく考えてみよう。

カテーテル検査を
   キャンセルした日
2001.6
カテーテル検査の前日、東京の病院にキャンセルの電話を入れた。
『お母さん、ホントにいいんですか!予約は4ヵ月もかかるんですよ。すぐに、次の予約をいれなさい。』
なんだか、その言葉に、温かみのない、手術もただの流れ作業のような、そんな印象を受けた。やっぱり、転院は間違いではないんだ。もう、妥協はしたくない!

その後の病院について
その後、初めの病院に戻りました。現在はその病院でも外科レベルが上がり、小切開が可能になりました。でも、まだ、病院については決定していません。もう少し、考えたいと思っています。2002年秋にはカテーテル検査を予定しています。
初めての高熱
2002.4.22
年中さんから幼稚園に通い始めた『なると』。たった二日通って週末には熱を出した。月曜日には復活して通い始めたものの、次の週末にも熱・・・また、すぐに下がるだろうと心配していなかったのに、今回は全然下がらない!40度で座薬を入れても、39.5度までしか下がらない。6時間、時計をみながら、また次の座薬。入れても入れても下がらない熱。ホントに風邪なの?初めて味合った心配。なにせ、今まではずっと健康だったし、風邪を引いても鼻水をたらす程度で終わっていたから・・・
心臓が悪くても、影響はないはず・・・そうは頭で理解しようとしてるのに、本当に負担になっていないのか、心配でならない。肺炎になりはしないだろうか・・・眠っていても常にピクピクと軽いけいれんをくり返していると、目も離せない。
そしてようやく、連続5個目の座薬が終わって、本人も39.5度では辛くないと言い出し、最後は座薬無しで、自力で熱を下げ、やっと37度になり、ホッと一息。一時は『川崎病??リンパ腺も晴れてるし、唇もはれてるし・・・』なんて、いらぬ心配をいっぱいしました。けっこう、私ってもろかったのね・・・と自分を知った4日間でした。ふ〜〜。
突然、主治医から電話。
「わたくし、移動になりまして、予定の日にカテができなくなりました。」
3月25日に入院を予定していましたが、主治医は3月20日で退院?退職?だそうだ。