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『なると』が産まれた日
1998.3
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病院に入って、5時間で産まれました。産まれる前、2時間は、この世のものとは思えない程の痛み・・・途中、何回もいきんじゃいけないところでいきんでしまい、赤ちゃんを苦しめてしまったみたい・・・赤ちゃんが凄くがんばってくれたんだね。ありがとう!出産はやっぱり、感動だね。生まれた瞬間、とてもホッとしたんだけど、顔を見たら、とても愛おしく感じたよ。すくすく、元気に、思いやりのある子に育ってね。 |
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心臓をはじめて指摘された日
1999.2
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風邪を引いて、近くの産婦人科に診てもらった。聴診器を胸に当て、『この子、心臓が悪いのか?』と聞く先生。まったくあり得ないと思って『いいえ』と答えた。『どうしてですか?』と聞くと、『いや、心雑音が聞こえるね。喘息かもしれないし・・・でも、一度小児科で診てもらいなさい』
家に帰って、パパにも報告した。でも、ぜんぜん、信じられないよ。こんなに元気だもん。多分、大丈夫だよね。 |
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近くの小児科で診てもらった日
1999.3
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ファンヒーターでやけどをしたので、心臓も一緒に聞いてみた。なるとはワンワン泣いていて、先生は『これくらいの心雑音は赤ちゃんなら、珍しくないよ。なんでもないね!!大丈夫!』よかった〜〜。やっぱり、なんでもなかったんだ!!これで安心。 |
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突発疹で別の小児科へ行った日
1999.4
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聴診器をいつまでも慎重に聴いている先生。『この子、心臓が悪いって言われたことは??』またしても・・・
『総合病院を紹介するから検査してもらいなさい。』あ〜〜やっぱり、だめなのかな・・・ホントに悪いのかな・・・でも、大丈夫だよね。 |
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総合病院での結果が
出た日の5日後・・・
1999.4
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『心房中隔欠損症』と診断された。大丈夫と信じていただけにショックだった。いろんな人が励ましてくれる。でも、励まされるとそれが現実なんだって言われているみたいで、余計つらい・・・病名が頭の中をグルグルと駆け回っている。気が付くと、どっぷり深みにはまっている。パパは平然を装っていたが、ママが傷が残ることを心配して話題にしたら、涙ぐんでいた。パパはママを支えようと我慢してくれているんだ。
一緒にお風呂に入って裸の胸を見たら、『ここに、大きな傷がついてしまうのか・・・』って・・・子供の前なのに、じわじわと涙が込み上げてきた。本当にごめんね。健康な身体に産んであげられなくて・・・でも、これから、パパとママで、がんばるから、なるともがんばっていこうね。
手術は3歳以降。今はとにかく先の辛い事は考えないようにしたい。私がメソメソしてしてもどうにもならない。お腹の子にも差し支えるといけない。パパと一緒にもう一度、先生に聞きに行こう・・・ |
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パパともう一度説明を
聞きに行った日
1999.5
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手術の成功率は99%。傷は大きく残ってしまうと言われた。先生は話しやすく、心臓の専門医で、少し安心した。今は、とにかく元気だ!突然悪くなることはなさそうだし、くよくよせずにがんばりたい。この子のパワーで少しでも孔が小さくなりますように・・・
インターネットでいろいろ見てみた。わからないことがいっぱいだ。もっともっと、勉強しよう! |
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二人目妊娠について考える・・・
1999.5
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〜病気が判明した時、既に二人目を妊娠していました。〜
検査や手術のこと、これからの事、いろいろ考えると、二人目の妊娠は間違いだったのだろうか・・・って考えてしまう。諦めた方がいいのか・・・でも、もし、病気が判ってからでは、二人目を作ることをためらったかもしれない。この子をひとっり子にさせないために、神様が早くに授けてくれたのかもしれない・・・今はそう思うしかない。 |
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転院を考えた日
2000.3
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今の病院は手術痕が大きく残ると言う。鎖骨からみぞおちまで・・・Tシャツでも見えてしまうって。でも、小さく手術できるところもあるかもしれないと思い、市内にあるもうひとつの先天性心疾患を診てくれる病院に聞きに行くことにした。
結果はそこの病院でも外科技術は同じだが、東京の病院に行けば、胸の谷間、4センチ程度でできるという。びっくりした。そんなに技術に差があるなんて、思いもしなかった。どうして前の先生はそういうことを教えてくれなかったのだろう・・・傷は小さい方が絶対にいいはず。女の子だし。この子にできることは全部、やってあげたい。東京に行くことを考えてみよう・・・ |
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東京の病院での
カテーテル検査の3日前の事
2001.6
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〜次の検診で、東京の病院でのカテーテルと手術を決めました。〜
突然、前の主治医から電話があった。
先生:『最近、検診に来てませんが、お子さんは大丈夫ですか』
そう、主治医には報告せず、黙って病院を変えてしまったのだ。
ママ:『申し訳ありません。カクカクシカジカ・・・ということで、東京の○○病院を紹介していただき、3日後に出発します』
と説明した。すると、
先生:『○○病院ですか・・・お母さん、臨床実験に使われますよ。東京までわざわざ出るなら、私がもっと信頼できる病院を紹介してあげますよ。よく、考えて!』
ママ:『でも、○○病院以外で手術をしたら、もう、戻ってきても検診は2度とできないって言われたんです。他に地元で心臓を診てくれる病院はないし、後々、心配です。先生には黙って転院してしまったし・・・』
先生:『大丈夫ですよ。私がもう一度診ますよ。お母さんが本当に行きたい病院にしたほうがいいですよ。私の娘が同じ病気でも私はあの病院には預けませんよ』
この最後の言葉が私の胸に刺さった。私もあの病院には行きたくなかった。手術の入院期間もたったの7日間。予約にも4ヵ月もかかるし。でも、地元の病院に何処にもかかれないような状態にはできないと思って、そこに決めてた。
母親としての妥協を指摘され、反省せざるを得なかった。
そして、神のお導きの様なものを感じた。もう一度、よく考えてみよう。
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カテーテル検査を
キャンセルした日
2001.6
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カテーテル検査の前日、東京の病院にキャンセルの電話を入れた。
『お母さん、ホントにいいんですか!予約は4ヵ月もかかるんですよ。すぐに、次の予約をいれなさい。』
なんだか、その言葉に、温かみのない、手術もただの流れ作業のような、そんな印象を受けた。やっぱり、転院は間違いではないんだ。もう、妥協はしたくない!
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その後の病院について
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その後、初めの病院に戻りました。現在はその病院でも外科レベルが上がり、小切開が可能になりました。でも、まだ、病院については決定していません。もう少し、考えたいと思っています。2002年秋にはカテーテル検査を予定しています。 |
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初めての高熱
2002.4.22
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年中さんから幼稚園に通い始めた『なると』。たった二日通って週末には熱を出した。月曜日には復活して通い始めたものの、次の週末にも熱・・・また、すぐに下がるだろうと心配していなかったのに、今回は全然下がらない!40度で座薬を入れても、39.5度までしか下がらない。6時間、時計をみながら、また次の座薬。入れても入れても下がらない熱。ホントに風邪なの?初めて味合った心配。なにせ、今まではずっと健康だったし、風邪を引いても鼻水をたらす程度で終わっていたから・・・
心臓が悪くても、影響はないはず・・・そうは頭で理解しようとしてるのに、本当に負担になっていないのか、心配でならない。肺炎になりはしないだろうか・・・眠っていても常にピクピクと軽いけいれんをくり返していると、目も離せない。
そしてようやく、連続5個目の座薬が終わって、本人も39.5度では辛くないと言い出し、最後は座薬無しで、自力で熱を下げ、やっと37度になり、ホッと一息。一時は『川崎病??リンパ腺も晴れてるし、唇もはれてるし・・・』なんて、いらぬ心配をいっぱいしました。けっこう、私ってもろかったのね・・・と自分を知った4日間でした。ふ〜〜。 |
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突然、主治医から電話。
「わたくし、移動になりまして、予定の日にカテができなくなりました。」
3月25日に入院を予定していましたが、主治医は3月20日で退院?退職?だそうだ。
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