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「香港カーブ」という言葉を知っている人は、返還前の香港と何らかの形でかかわったことがあるはずだ。そのノスタルジックな響き。知らない人にとっては何のことなのかさっぱり分からないと思うのだが、この言葉にはそういう魔力が込められている。いったいいつのころから、誰によって命名されたのか私はよく知らない。しかし、私が香港に出入りしていた90年代初頭には、すでに定着していたのだから、それなりに歴史を刻んできた言葉なんだろう。でも、現在ではそれはなくなってしまった。人々の記憶に残るのみだ。
日本人のイメージする香港とは、中国大陸から細長く伸びている九龍半島とその南に面
している香港島に凝縮されると思うが、その九龍半島を大陸側にほんの少し北上すると、「佐敦」(ジョーダン)といわれる地域がある。まだ、主要観光エリアに入っている場所なのだが、日本人が最も集まる九龍半島南端と比べると、かなりごみごみとしていた。このごみごみとした猥雑な通
りのさらに輪をかけて猥雑なビルの2階に日本人の集まるゲストハウスがあった。薄汚れた狭い部屋の壁にパイプ製の二段ベッドが並べられている典型的なドミトリーで、当時のレートで1泊840円程度だった。下段のベッドに人が出入りする度に、上段がぐらぐらと揺れる。マットも清潔とは言えず、安さ以外に取り立てて優れているところはなさそうなのに、何故かいつも人であふれていた。
私もそのゲストハウスで寝泊りしていた。私の場合は、何かと情報が入るからだった。どこの店に行けばカレーがおいしいとか、中国行きのビザが格安で取れるとか、珍しいものを売っているとか、どれもこれもたいした情報ではないのだが、たいしたことないがゆえに一般
の情報ルートでは手に入らないものばかりだった。私はそれに満足していた。
他の宿泊者たちも、情報を目当てに集まってくるものが多いようだった。そして、情報交換の流れが出来て、さらに人をひきつけるのだ。私の目から見ても、いい回転を生んでいると思えた。
いつものようにゲストハウス内でお互いの苦労談(という名の自慢話)を順番に披露し合っているうちに、飛行機の話になった。あんな飛行機に乗ったとか、飛行機に乗ってひどい目にあったとか、そういうような話だ。人に自慢話をするのは本当に楽しい。そして、その自慢話を熱心に聞いてくれる相手がいると、その楽しみは倍増する。お互い興味のある話しだし、負担にはならないし、ゲストハウスが流行る最大の理由はこれなのかもしれない。私もいくつかの自慢話を披露したところで、ゲストハウス最古参のTさんが、おもむろに口を開いた。
「香港カーブ、知ってるよね」
私は、ああ、と答えた。香港アプローチとも言う。
「あれが目の前で見えるポイントを知ってるんだ」
それは魅力的な話だった。私はお尻が5ミリばかり浮き上がったのを感じていたし、私の他にも数人が同じような反応を見せていた。しかし、そうではないヤツもいた。香港カーブを知らないようだ。Tさんは香港カーブの説明を始めた。
「カイタック空港に下りてくる飛行機って、市街地の高さギリギリに飛んでくるじゃない。普通
は九龍半島の北側を西から東に向かって入ってくるんだけど、着陸ギリギリのところで急カーブするんだよ。傾きながら。そして回りきったと思ったところでドスンと降りるわけ。本当はまっすぐ降りてきたらいいんだけど、山の関係かなんだか知らないけど、まっすぐアプローチできないみたいだね。滑走路に対して斜めに入ってきて、直前で急カーブしてドスン。飛行機で来たんだったら覚えてないかなぁ」
私はもちろん知っていたし、それを楽しんでもいた。風向きの関係で3回に1回くらいは反対側から降りることがあるのだが、それを機上で知ったときはとても悲しい気持ちになったものだ。反対から降りるときは、当然のことながら香港カーブはない。
話に参加していた人々のうち何割かは陸路や海路で越境してきた人たちで、ピンとこないようだったが、ま、それはいい。これからのお楽しみにしておけばいい。
「運転が難しくて有名なんですよね」と私は言った。数人が同意するようにうなずいていた。「あれが目の前で見れると?」
「そう」そう答えて、Tさんは少し笑ったように見えたが、すぐに素に戻った。
それにしてもTさんは変わった人だ。真っ黒に日焼けした顔に丸いめがねをかけていて、その表情はよく見えない。色が黒いから分かりにくいのか、それとも表情がないのか、それともその両方なのか私には判断がつかなかった。いつもゾウリ履きで、ラフな格好をしていて、日本語を喋れなければ絶対に日本人には見えなかった。というか、日本語を喋っていても日本人とは思えない部分があり、実際のところは私にはよく分からなかったし、現実、どちらでも全く問題がなかった。痩せていて全体的につるっとした感じで、香港に関してはいろんなことをよく知っていた。長期滞在者の多いこのゲストハウスの中でも最古参で、1年前にこのゲストハウスが取材を受けて雑誌に載ったときの写
真に入っていたので、1年以上いるのは確実だった。その割には、荷物が一番奥の角にあるベッドの周りのちょっとしたものだけで、それですべてだった。彼はほぼ体一つでそこに存在していた。
Tさんは紙切れに地図を書きながら丁寧に説明してくれた。
香港カーブは地上ギリギリのターンなので、目に見える目標がある。小高い丘の斜面
に白と赤の市松模様があって、それを見ながらパイロットは急ターンを行うというわけだ。つまり、その小高い山に登ると、飛行機が急接近してきてカーブしてそのお腹を見せながら飛び去っていくのが見える。しかも、それが次々とやってくるというわけなのだ。これは見に行かなくてはならない。そしてその山があるのが『九龍仔公園(KOW-LOON
TSAI PARK)』だった。
ゲストハウスのある佐敦からはバスで行けるようだったが、地下鉄「樂富」駅からぶらぶら歩いて行くことにした。とにかく一人でふらっと行ってみたいと思ったのだ。
地下鉄樂富駅に降り立ち、駅前の公園を抜けると大きな通りに出る。聨合道だ。それを道なりに下っていくと、九龍城公園の入り口が見えてきた。この公園はあの悪名高い「九龍城砦」の「跡地」に出来たものである。跡地!
九龍城砦・・・建物を継ぎ足して継ぎ足して継ぎ足して、まるで生き物のような、迷路のような巨大な建物だった。そのおどろおどろしさは、ある意味香港の象徴で、私のような外来者には縁のないところでもあった。取り壊すことなど、誰にも出来ないと信じられていた。しかし、私が初めて香港に来た80年代後半には極めて健在だったヤツが、いつの間にか取り壊されてしまったのだ。警察も足を踏み入れることが出来ないと言われたその巨大な迷路は、中国への返還を前にあっさりと姿を消してしまった。この手の仕事は、資本主義よりも共産主義のほうが得意なのだろうか。
しかし、目の前にある公園は、どこにでもあるような普通の公園だった。最初から何もなかったかのように、そこに存在していた。建物などは全くなく、オブジェがあちこちに飾られていた。親子連れが訪れていて、子供たちの歓声が上がっていた。私はしばし呆然とした。
同じ場所に目もくらむような建物の塊があったなんてことは、実物を見た私でさえイメージ出来なかったし、とにかく記憶との整合性が全く取れなかった。少し頭がくらくらした。建物は土に帰ったのかもしれないけど、中にいた人たちはどうなってしまったのだろうか。どこかに消えてしまったのだろうか。でも、考えたところで答えが出るはずもなかった。少し暗い気持ちになった。私は首を左右に振って、気持ちを切り替えた。みんなうまくやっているだろう。そう考えた。
気を取り直して公園の手前の道を右に曲がり、突き当たりを左に折れると『九龍仔公園』の入り口があった。小さな入り口で、注意しないと見落としそうなものだった。
階段を一段一段踏みしめるように登ると、フットボールのグランドがひしめき合っている広い平坦な場所に出た。香港にも季節があるらしく、立ち木の緑とは対照的にグラウンドの芝は茶色く変色していた。グランドには誰もおらず、鳥の声だけが響いていた。九龍城公園とは対照的だった。よく見るとプールもあるようで、夏に来れば泳ぐこともできるかもしれないと思ったが、静かだった。この公園は死んでるんだろうか?なんか不思議な感じだった。
それから、「赤白市松模様山」はすぐに分かった。飛行機から目標に出来るくらいだから、地上からでは恐ろしく目立っていたからだ。恐ろしく不釣合いな感じで、公園の北側に鎮座していた。
その「赤白市松模様山」に向かって歩いていると、突然「ゴーッ」という音がした。あまりにも突然だったので、その音がどちらから飛んできたのか、最初は見当がつかなかった。空から? 空を見上げると飛行機がこっちに向かって突っ込んで来るのが見えた。しかもかなりの低空だ。ジャンボか、エアバスか、とにかく旅客機だ。なるほど香港カーブに入る直前なんだなと思った。しかし、地上から見る限りでは、赤白市松模様山などは関係なく、フットボールのグランドに着陸する勢いで突っ込んでくるのだ。反射的に両手で頭を抱えた。体がくの字に曲がり、へっぴり腰になってしまった。すると見る間に急接近してきて、巨大な爆音とともに急旋回して頭上をかすめるようにぶっ飛んでいった。
何か爆音でぶん殴られたようだった。ぶっ飛ぶ、ぶっ叩く、ぶん殴られる。なんか、そんな感じの表現だ。とにかく、ただ「殴る」だけではあらわせない感覚。大阪空港でも着陸の寸前の飛行機を、ほぼ真下から見ることが出来るのだが、それとは緊張感がまるで違っていた。香港のそれは、パイロットの息遣いとか、汗の光り具合まで見えるくらいだった。こいつはすごいと思って、しばらくグランドの横で見ていることにした。
飛行機はひっきりなしに降りていく。しかし、微妙に飛行コースが違うのが面
白い。風の具合か、パイロットの腕なのか。 何機かをやり過ごしたあと、赤白市松模様山に登ることにした。グランドの北側の少し高いところに何面
かテニスコートがあって、このテニスコートの金網に山に上がるドアが付いている。Tさんからの情報によると、ここから細長い階段を登って「赤白市松模様」まで行けるそうだ。
ドアの前に立ってみると、広東語で何やら書いていた。「危険」とか「登るな」とか「壊すな」とか「私有地だ」とか、そういうことだと思うけど、広東語は分からないし意図的に無視することにした。何かを壊さない限り、特に問題はないだろう。勝手にそう解釈してドアを開けた。ドアにはカギがかかっていなかった。
情報どおりの細長い階段を登ってみると、実に見晴らしがよかった。さわやかな風が心地よく、気持ちよかった。航空機の目印があるのだから当たり前かもしれないが、ここはかなりの高台になっていて、左手に見えるカイタック空港から正面
にある九龍のビル、そしてその向こうに見える香港島、先ほど見た九龍城公園まで、すべて見おろすことが出来た。飛行機を見る場所としてもポイントが高いのだが、展望台としても一級品だった。
市松模様の下端をたどって進んでみると、ひとりのおじいさんがひなたぼっこをしていた。かなり有名なところらしく、ここで日がな一日を過ごす人も多いと聞いている。
広東語で何やら話しかけられたが分からないのでにこにこしていると、おじいさんがさっと空を指差した。その先を見ると、また1機こちらに向かっているところだった。飛行機はみるみる近づいてきて爆音とともに急カーブ、そして空港へと降りていった。なんとここでは香港カーブを「自分の目線の高さで」とらえることが出来るのだ! 感覚的には見おろしていると言っていいかも知れない。世の中には面
白いところがまだまだあるなと思った。
しかし、この香港カーブも、カイタック空港の廃止・新香港国際空港の開港により、永遠になくなってしまった。建物ギリギリに飛んでくる、あのスリリングな着陸ショーは消え去ってしまったのだ。香港がどんどんソフィストケートされていくのは、時代の流れとは言え、少しさびしい気がする。生活環境はよくなったはずだ。それは香港人のためでもあるし、私たち外部のものがどうこういう問題ではもちろんない。でも、活力は失わないでいてほしいなと思うのである。
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