チチェン・イッツァ訪問記(メキシコ旅行記)

 

 中南米というのは、日本人にはあまり馴染みがないらしい。「チチェン・イッツァ遺跡」の話を切り出しても、たいていの場合「何それ?どこの国の話?」「聞いたことがない」という反応だろう。ある程度歴史好きな人でも、「チチェン・イッツァ? それってインカ帝国の遺跡だったっけ。マチュピチュとかにも行ったの?」といったような反応だと思うのだが、世界遺産の「空中都市マチュピチュ」で有名な「インカ帝国」の遺跡は南米のペルーにある。チチェン・イッツァ遺跡は中米メキシコのユカタン半島に花開いた「マヤ文明」の遺跡だ。有名な「ピラミッド」の写 真を見れば、「そういえば見たことある」となるのだが、知名度はまだまだ低いようだ。とにかく「マヤ」「アステカ」「インカ」の三者が混乱しているようなので、訪問記に入る前に簡単に整理しておこう。

場所
年代
マヤ
中央アメリカ
グアテマラ高地からユカタン半島
紀元前後から4〜9世紀全盛
アステカ
中央アメリカ 
メキシコ中央高原
14〜15世紀
インカ
南アメリカ
ペルー・エクアドルからチリまで
15世紀末全盛

 「マヤ」と「アステカ・インカ」の栄えた時代に数百年の開きがあることを、まずは把握しておきたい。それから、アステカ・インカの両者は同時期に中米・南米それぞれに大帝国を築いているが、距離的に中国とインド/イランくらい離れており、これらの文明は全く関連性がないとまでは言えないが、基本的には別 物と考えた方が良さそうである。
 もちろんこの三つの文明以外に、中米の「オルメカ」(メキシコ湾岸低地)、「テオティワカン」「トルテカ」(メキシコ中央高原)、南米の「チャビン」「モチェ」「ナスカ」「ティワナク」「ワリ」「シカン」「チムー」などの文明・諸都市・王国などが紀元前はるか昔から綿々と続いており、これらがお互いに少しずつ影響しあっているのは否定できない。ただ、マヤ、アステカ、インカの三者に限ってしまえば、関連性は薄くなってくる。
 ところで、アステカとインカの両者はともに16世紀にスペイン人によって滅ぼされてしまった。アステカを滅ぼしたのがコルテスで、インカを滅ぼしたのがピサロだ。そしてその後、この地域がスペイン語化され、ラテンアメリカと呼ばれるようになったのは広く知られた事実だ。
 「チチェン・イッツァ」は「マヤ文明」の代表的な遺跡である。同じくマヤの遺跡「ティカル」に続く規模を持っており、また観光用によく整備されている。メキシコの高級リゾート地である「カンクン」からの1日ツアーとしても人気が高いようなので、カンクンに行くに当たり、ぜひとも訪れてみたいと考えていた。
 なお、カンクンの現地旅行会社がチチェン・イッツァ行きの「英語ツアー」「日本語ツアー」をたくさん用意しているようだった。密林の中にある遺跡なので、ツアーで行くのが一般 的なのだ。今回は割高ではあるが、歴史的な説明をしっかり聞きたかったので日本語ガイド付きの「チチェン・イッツァ遺跡1日ツアー」に参加してみることにした。


01 チチェン・イッツァとは?

 早朝、指定の時間にホテルのロビーで待ち合わせて、小型のバスにピックアップしてもらう。天気は上々、熱帯独特の厳しい太陽が照りつける一日の始まりだった。早朝は比較的涼しいのだが、急激に気温が上がってくるので覚悟しておかなければならない。今日も暑くなりそうだ・・・。
 小型バスが我々夫婦が宿泊している「ハイアットリージェンシー」とその隣の「フィエスタ・アメリカーナ・コーラルビーチホテル」を順番にめぐると、今日のツアー参加者全員が揃ったようだった。どうやら我が妻のさんちゃんを除き、全員日本人らしい。しかも、我々を入れて5組10人全員が新婚カップルだった。客筋の偏りに驚いたのが、大枚をはたいてメキシコのカンクンくんだりまで来る日本人ってのは、新婚さんくらいしかいないんだろうか?アメリカからなら距離的にも近いので簡単に来られるのだろうが、いかんせん、我々「アジア人」には敷居が高いようだ。

 バスにはツアー参加者の他に、中年男性のメキシコ人運転手と日本人ガイドが乗り込んでいた。ガイドは30代半ばの女性で、真っ黒に日焼けしていて、とても活発そうな人だった。メキシコ人男性と結婚してここに住んでいるらしく、子供も既に何人かいるようだ。アメリカに留学していた話も出てきたので、スペイン語だけではなく英語も達者のようだ。
 こうして始まった「チチェン・イッツァ遺跡1日ツアー」なのだが、実は、行き帰りの「移動」に大半の時間が割かれてしまう。というのも、車を飛ばして3時間ほどかかってしまうからで、早朝に出発しても現地に着くと既にお昼近くで、遺跡見学のあとに食事をとって帰ると夜になってしまうのだ。ツアーの大部分をバスの中で過ごさなければならないわけで、ガイドさんは僕らが退屈しないようにいろんな話をしてくれた。マヤのことはもちろん、メキシコの一般 知識や食べ物の話題などだ。

 ところで「マヤ」についてだが、近年、マヤ文字の解読が進み、謎とされていた「滅亡の原因」などが徐々に分かりつつあるらしい。「抗争の末に滅びたらしい」という認識が一般 的になりつつある。滅びた年代についても、確定的ではないにしてもほぼ特定されつつあるようで、今後の成果 に期待したいところだ。しかしガイドさんは「まだまだ謎が多い」と言うような話し方をしていた。謎が多い方が確かに見に行く側としてはわくわくするって寸法らしい。
 それから、マヤが他の文明とは大きく異なっている点がある。それは「大きな河がない場所で発達した」という事実だ。確かにユカタン半島には河がない。エジプトがナイル川、メソポタミアがチグリス・ユーフラテス川、インダスがインダス川など、基本的に文明は大河にはぐぐまれて来たわけなのだが、そういう点でマヤは極めてまれなケースだ。
 しかし、ユカタン半島には河がないかわりにジャングルの地下を流れる「地下水脈」がある。地面 から水が豊富にわき出るわけで、ユカタン半島の遺跡は、この地下水脈を頼って出来たと言われているそうだ。
 なお、チチェン・イッツァは「水の魔法使いの井戸の口」という意味だそうだ。「チ」が「口」(くち)という意味で、「チェン」が「井戸」、「イッツァ」が「水の魔法使い」を意味する部族の名前とされている。水に深い関係があるのが分かる。
 また、遺跡は旧チチェン、新チチェンの二つに分かれている。旧チチェンが西暦415年ごろから731年頃まで栄えたもので、地図でいうと右下の部分となる。いわゆる素朴なマヤ文化によって作られた地域だ。一方で地図の左上の地域、巨大ピラミッドの「エル・カスティージョ」や「戦士の神殿」などがある地域が新チェチェンだ。西暦928年から987年頃、ククルカンという神(羽を持つ蛇)を信仰するトルテカ族とイッツァ族の混合民族が中央高原からやってきてマヤ族を征服し、マヤとの混合文化をうち立てたのだ。マヤ・トルテカ文明といわれている。
 その後チチェン・イッツァは栄えたのだが、1105〜1204年頃、同盟関係にあった城塞都市「マヤパン」に破壊されてしまう。そして最近まで歴史の表舞台から消えてしまっていたわけだ。


02 チチェン・イッツァへの道

 話を元に戻そう。
 バスはダウンタウンを抜けて高速道路へと入っていった。すると見る見るうちに周りがジャングルに変わっていく。そしてそのジャングルを切り裂くように直線的にのびていく道路。・・・その何にもない道をひたすら走っていく。ふと空を見上げるとハゲタカが弧 を描いて飛んでいおり、気温が上がってきたのか、遠くで陽炎が立ち上っていた。単調なバスのうなり声と振動が、我々の意識を朦朧とさせていく。
 僕とさんちゃんは一番前の席に陣取っていたので、運転手横に座っているガイドの話を熱心に聞いていたのだが、後ろのカップル達は次第に船をこぎ始めた。「もうちょっと人の話を聞いてやれよ!」と思ったのだが、ふと横を見るとさんちゃんもいつしか船をこいでいた。確かに単調な道で、僕にも強烈な眠気がおそってきた。
 ところでこの道は、高速道路とは言いながらも、別に高架になっていたり柵をしていたりしているわけではなく、ジャングルを切り開いて舗装しているだけだった。だから、原住民たちがどこからか現れて、平気で渡っていく。道ばたをぶらぶら歩いている場合もあるし、犬がちょろちょろ走ることもあり、まったくもってのどかな風景だ。
 それから、時々道の端で作業している人たちに出会ったのだが、どうやら道路の端に生えてくる草を刈り取っているようだった。放っておくとすぐジャングルに覆われてしまうらしく、メンテナンスが大変みたいだ。


03 休憩所

 そうして、ほぼ全員が船をこぎだした頃、バスは給油所のようなところに停車した。どうやらサービスエリアらしい。といっても、日本のようなものではなく、給油所と小屋のような建物が一つあるだけだった。もともと出入り自由(?)な道なので、道ばたにある普通 の店と何ら変わるところがないわけだ。
 マヤ族の末裔がやっているタコスの店があるというガイドの話に誘われて中を覗いてみると、文化祭の模擬店のような店でタコスとともにお菓子や水などが売られていた。マヤの伝統衣装を身にまとった女性二人が、せっせとトルティーヤ(具をのせて包む円形の皮みたいなもの。メキシコ料理に欠かせない)を作っている。浅黒く背が低い典型的マヤ人の体型だった。
 とりあえず、そこで冷えた水を購入する。もちろん大きいやつをだ。既に気温は急上昇し、遺跡に着く頃にはしゃく熱地獄になっていることだろう。こんな日に水を確保しておくのは基本中の基本で、買えるときに買っておかないと、あとで痛い目に遭う。しかし、まわりを見てみると、ツアーのメンバー中、水をキープしているのは僕だけだった。「おまえら水を確保しないと死ぬ ぞ!」と思いながらも、「手取り足取りツアー」ではそんなことを気にする必要はないのかも知れない。もちろんガイドも何も言わないし、これってバックパッカーの自己満足なのだろう。
 ところでそのタコスの店だが、機械で作らず、トウモロコシを手で練って作っているためか、トルティーヤが街で見かけるものと少し違っていた。さんちゃんが試してみたのだが、塩味が少しきつめだったけれど美味しかったようだ。

メキシコのパーキングエリア
タコスを作るマヤの女性



04 チチェン・イッツァ到着そして遺跡へ

付近の地図 休憩も終わり、再びバスに乗り込む。そしてさらに1時間ほど走って、やっと高速道路出口に着いた。その出口は少し高台になっていて、まわりの風景を見渡すことが出来た・・・・見渡す限りジャングルだった。しかし一カ所だけ、そのジャングルの中から頭の先をわずかにのぞかせている岩が見えた。チチェン・イッツァ遺跡のピラミッドのようだ。
 そこからしばらく走るとマヤ族の小さな村に出た。道沿いに、織物などの色とりどりのおみやげ物が並べられている。しかし、こういうところで買う人はいるのかと疑問に思ったのだが、我々のバスも当然のようにそこを素通 りしていった。そしてさらに車を飛ばしていくと、駐車場が見えてきた。チチェン・イッツァ遺跡の入り口だった。

 遺跡の入り口には既にたくさんの車が停まっていて、多くの人でごった返していた。先ほどまでの静けさが嘘のようだ。急いでバスを降りると、強い日差しが突き刺すように照りつけてきた。これは暑い。水を買っておいて正解だったと思っていたら、ガイドが500mlの冷えた水をガイドが配り始めた。なるほど、ツアーにはこういう気配りもあるのだと思った反面 、水を確保せずにのほほんと来てしまう他の参加メンバー、ちょっと大丈夫か?と改めて思ってしまう。
 そのままガイドについてぞろぞろとチケット売り場まで行くと、白人たちでとにかくごった返していた。しかし、その中をぬ うように浅黒い背の低いインディオ風の男性がちょこまか歩き回っている。どうやらこのチチェン・イッツァの遺跡を管理しているマヤ族の男性(オフィシャルメンバー?)のようだった。しかし、どの男性も背が低く、妙な違和感を覚えてしまう。
一旦、チケット売り場前で集合し、トイレを済ませてから中に入った。ところで、このチチェン・イッツァ遺跡にビデオを持ち込んだ場合、追加料金が必要になる。せこい話だが仕方がないので支払う。

05 高僧の墓

 ゲートをくぐり、森の中の道をしばらく歩くと、崩れかけた石積みの建造物が見えてきた。小さな2階建てほどの規模で、現在は「高僧の墓」(Tumba de sacerdote)と呼ばれている旧チチェンの地域の遺跡だった。しかしその名前は、後世に発見者が想像をふくらませて勝手につけたもので、実際は墓ではないらしい。今後、本来の用途に忠実な名前に変わるかも知れない。そして、そのはす向かいには完全に崩れている建物も見えた。岩が乱雑に積み重って、小山を造っている。これは修復前の遺跡だそうだ。今、目の前にある崩れかけた建物も修復したものだそうで、発見された当時は、かなりのものが石の山だったらしい。
 「高僧の墓」の横には、四角い石の柱が立っていた。全面レリーフで覆われているのだが、注目すべきは柱の角を利用したレリーフだ。マヤ遺跡に特徴的なものらしく、角から鼻のような部分が飛び出して、ちょうど立体的な形に仕上がっている。角が鼻で、その両側の面 に目がついているのだ。神様をかたどったものらしく、この他の建物にも同じようなレリーフがたくさん見て取れた。

高僧の墓の階段
角を使って顔を表現している
トルテカの象徴「クルルカン」 (羽毛をもつ蛇)
赤い家?(たぶん)

06 エル・カラコル

 そこからさらに奧に入っていくと丸いドームをぽっかりといただいた大きな建物が見えてきた。「天文台」(エル・カラコル:el caracol)と呼ばれている建物で、文字通り天体観測を行っていたところだそうだ。形が現在の望遠鏡の格納ドームに通 じるものがあり、見た目で納得できる。もともと別の用途で作られた建物だったようだが、新チェチェンの時代に真ん中のドームを建て増しして天文台として使ったようだ。ドームは直径11メートル、高さ13メートルで、内部は螺旋状の階段が上に伸びており、その構造が貝に似ていることからカラコル(貝)と呼ばれている。しかし、残念ながら中に入っての見学は出来ないようだった。
 ところで古代のマヤ人は正確な天体観測によって、驚くべき精度の暦を持っていたらしい。また、「0」の概念も持っていたそうだ。「0」の発見はインドが最初だと習った記憶があるのだが、ガイドの話によるとマヤが世界初だそうだ。どっちが本当なのかは定かではない。
 その建物を横目に見ながら次の場所へ移動していると、遠くに動くものが見えた。イグアナだった。イグアナは「カンクン」でも見たのだが、このあたりには普通 に生息しているらしい。もちろん野生のもので、1メーターちかくあるだろう。しかし、見た目のごつさとは違い、草食で性質もおとなしく人を襲うようなことはない。むしろ人間に見つかると一目散に逃げてしまうのだ。そのイグアナを見たさんちゃんが「ビデオビデオ!」と叫んだので、慌ててカメラを向けたのだが、走り去っていくお尻をかろうじてとらえただけだった。残念・・・。因みにさんちゃんは昆虫類が全くダメで、ショウジョウバエですら逃げ回る状態なのだが、は虫類はなぜかOKで、イグアナとか恐竜(これはは虫類じゃないね)には目がない。変わったやつだ。

エル・カラコル
エル・カラコルに向かう途中にあった植物

07 付属の尼僧院・教会

 エル・カラコルから奥に入っていくと、付属の尼僧院(El Anexo del este)と尼僧院(Casa de Monja)と教会(La Iglesia)がある。もちろんマヤに教会はないし、尼僧がいた事実もないけどそう言う名前で呼ばれている。高僧の墓の所でも書いたとおり、後世の発見者が勝手に付けた名前だ。
 付属の尼僧院には壁面全体にチャック神が描かれている。上部に4つ、下部には8つあって、全体で一つの計13と言われている。教会には中央正面 のチャック神の両側にマヤの東西南北を司る神がいて、亀やアルマジロも描かれているらしい。とてもマヤの遺跡っぽいイメージで、僕はとても気に入った。ひなびた具合も良くて、エル・カスティージョがあまりにも有名だけど、こういうのをこまめに見るのも楽しいのだ。
 さて、林を通って元に戻ろう。

付属の尼僧院(El Anexo del este)
教会(La Iglesia)
中央にチャックの顔が見える

08 エル・カスティージョ

 林を抜けると有名なピラミッドがある広場に出た。チチェン・イッツァのランドマークである「エル・カスティージョ」(el castillo)だ。
 さすがに大きい。大きいとしか表現できない代物だ。見るものを圧倒する迫力に満ちていた。周りの広場もよく整備されていて、すがすがしい気分になる。一刻も早く登りたい気持ちになったのだが、ガイドの話によると奧にある生け贄の池を見学して、そのあとに自由時間を設けるらしい。
エル・カスティージョ
広場から見た球技場横の神殿
縄をつかみながら登る人々
とりあえず記念写真を撮っておこう

 

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