子供連れケニア・サファリ旅行記7 ナイロビ編2

 2007.4.11(2007.4.7〜4.21)
 ナイロビ市内観光


01ナイロビ市内へ

 考えてみれば、ナイロビの市街地に入るのは初めてだった。アンボセリ国立公園へはジョモ・ケニヤッタ空港から直接向かったからである。にもかかわらず、ここが「ナイロビ」であることは、素人目にもはっきりと分かる。それほど他所とは圧倒的な差があった。
 圧倒的に多い車、圧倒的に多い人、圧倒的に多いビル、排気ガス、数えだすとキリがない。ここナイロビは恐らく「じょうご」の中心のような存在で、ケニアのみならず東アフリカ全体のいいものも悪いものも、その一切合切がぐるぐると回りながら殺到しているのだろう。その引力は計り知れない。






ケニアの地図






マタトゥ
ナイロビ市内に入ったところで雨が雨が降ってきた
前に見えるバンが「マタトゥ」

02ケニアのミニバス「マタトゥ」

 今まで快調に飛ばしていたランドクルーザーも、ついに渋滞に巻き込まれてしまった。進んでは止まり、進んでは止まりを繰り返し出したのだ。暇なので窓越しに横の車を見てみると、実に多彩な顔が見えた。もちろん全員黒人なのだが、ラフな格好をしているものもいれば、きちんとした服装をしているものもいる。そして意外だったのは、スーツを着込むなどした「西欧的にきちんとした身なり」をしている人が多いということだった。この点は、アジアの国々とはちょっと違うような気がした。

 一方、車の中でひときわ目立っていたのが、バンを改良したいわゆる「ミニバス」だった。このタイプのミニバスは世界中どこに行ってもあるのだが、やはりケニアにもあるようだ。派手な装飾はなく白色ベースのボディのミニバスは、そのほとんどが満員の乗客を乗せて、ナイロビ市内を縦横無尽に走っていた。ピーターさんに名前を聞いてみると、すぐに答えが返ってきた。
「マタトゥ」
 あのミニバスは、マタトゥというらしい。どれも満員なのをみると、これはまさしく庶民の足なのだろう。気をつけてみてみると、同じ道を何台ものマタトゥが折り重なるように走っている。中国の小公共汽車や香港の小巴と作りも走りも似たような格好だ。

 そのうち渋滞で止まった我々の車に、マタトゥがピッタリと横付けされた。横を見ると、目線の高さがちょうど同じくらいだった。小さな窓から好奇心に満ちたたくさんの目が、こちらを覗き込んでいた。そして、その多くが娘の海パダに向けられていた。
 彼らにとって東洋人を見ることは極めて稀だと思うのだが、その子供となると恐らく相当珍しいものなのだろう。しかも、海パダは3歳だ。もしかしたら、生涯を通じて初めて目の当たりにしているのかも知れない。

 こちらがニコッと笑うと笑顔を返してくれる人もいたが、終始怪訝そうな顔で見ている人もいた。それがどういう心情を表しているのか窺い知れないところなのだが、東京でも似たようなものかもしれない。例えば首都高の渋滞に巻き込まれているときに、隣を走っている車の中から黒人がニカッと笑ったとして、あなたはどうするだろう。同じように微笑み返すだろうか。自分としてはその姿をあまり想像できなかったので、怪訝そうな顔でいるマタトゥの乗客を侮ることは出来ないと思った。そう思うと、日本で出会う外国人たちに対してただ笑うだけではなく、親指を立てて「イェーイ」とやったり、上半身でダンスを踊ったり、そのくらいのサービスはいるな、と思ったのだがどうだろう。笑顔は万国共通のツールだし、日本のイメージ向上にもなるのではないだろうか。

 それから、マタトゥの乗客の中には、身振り手振りで「その子をくれ」と伝えてくる連中もいた。冗談なのか本気なのか分からないが、アンボセリのマサイ族に続いての要望で、こちらとしては苦笑するしかない。ケニアの人たちは、そういうノリなんだろう。


03ナイロビで韓国料理屋を探す

 時刻は1時30分を指していた。お腹もすいてきたので、ナイロビ観光をする前にレストランに向かってもらうことにした。ナイロビ市内に入ったあたりで雨もポツポツと降り出してきたし、腹が減っては何もすることは出来ない。
「どこに行きますか? 日本料理?」とピーターさんが聞いてきた。確かに西洋料理に飽きてきたところだ。西洋料理以外のところに行くタイミングであるのは間違いない。「何が何でも現地の食べ物」という血気盛んな時期も過ぎたし、素直に日本料理でも食べてみようかとなとも思った。でも、まだまだ日本料理にテンパっている状況ではないなと思っていたところに、連れ合いのさんちゃんの声が響いた。

「韓国料理ってないやろか」
「韓国料理?」
「そう。旅行社からもらったパンフレットの中に書いてなかった?」
「あったなぁ、確か」

 パンフレットを見てみると、やはり記載されていた。「ソウルガーデン」(Seoul Garden)という店らしい。まだ日本料理を食べたくて食べたくてたまらない状況でもないし、ケニア・ナイロビで食べる韓国料理というのも悪くない。ナイロビで飯を食うタイミングはまだまだあるし、ここは韓国料理を堪能してみようと思った。どういう食材でどういうテイストで出てくるのか、楽しみになってきた。
 ピーターさんに「ソウルガーデンに行きたい」と告げたのだが、場所がわからないようだった。日本人を中心に案内しているピーターさんには、意外な場所だったのかもしれない。パンフレットを見せてみたのだがまだ良く分からないようで、携帯電話で場所を確認しながらランドクルーザーを進めて行った。

 舗装した道路から土が剥き出しの路地に入って行くころにはかなり雨が激しくなってきて、穴ぼこだらけの道はぬかるみとともに大きな水たまりをたくさん作っていた。水たまりには茶色い水がなみなみとたまり、その水面に穴を開けるかのように大きな雨粒が、容赦なく激しく降り注いでいた。湿度もどんどんあがっているようで、サファリでは乾燥しきった空気を吸っていたのだが、ムッとしたその匂いは日本にいるような錯覚を覚えさせてくれる。しかし、気温が低いからか、それほど不快ではなかった。

 それにしても、こんなにたくさんの水たまりを見たのは、久しぶりだった。アジアの国々も比較的旅してきた方だと思うのだが、思い浮かんだのは子供の頃に見た日本の穴ぼこだらけの道だった。そう言えば、私が子供の頃は舗装道路もそれほどなく、穴だらけの道も結構多かったように思う。それが中学生になるころには、ほとんどなくなってしまった。変化の激しい時代だったのだろう。しかし、こういう風景をみるととても懐かしく感じてしまう。かつての日本もそうだったが、ナイロビの水たまりもいつかは懐かしい風景になるのだろうか。

 




Seoul Garden Restaurant
Kindaruma Rd off Ngong Rd  Tel:2722535
外国に行ったら現地の食べ物を食べるのが原則だということは、分かってはいるのだけれども、それ以上に、アフリカの韓国料理とか日本料理とか、興味ありませんか?
長旅になると、何かそういう変わった楽しみもあって良いのではないかなと思うのです。それに、私の連れ合いのさんちゃんは韓国人ですから、そういう意味では自然なのかも。


マタトゥ Matatu (Mathree)
本文にも書いたが、世界中にこのタイプの乗り物が存在しており、それらを総称して英語では、Share taxi (シェア タクシー)と呼ぶようである。Wikipediaには、その項目があり、世界のシェアタクシーの一覧もある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Share_taxi

本文にも書いたとおり、小公共汽車、小巴、トルコのドルムシュ、タイのソンテウなどがこれに当たる。
しかし、どちらかというと、こちらの「Public light bus」の方がぴったり来るように思うのだが・・・・。
http://en.wikipedia.org/wiki/Public_light_bus

でも、自由に走るところが、タクシー的なのかもしれない。奥が深いです!

04ソウルガーデン

 水たまりだらけの道をゆらゆらと傾きながら進むと、前方に大きな門が見えてきた。きれいにペンキが塗られている。その前に門番と思われる男が立っていて、我々の車を確認すると、ゆるゆると門を開けてくれた。車が中に入ると、また門が閉じられる。全く普通の家に入るように敷地内に招き入れられたのだが、どうやらここが「ソウルガーデン」らしい。要するに一般の人は入ることが出来ない仕組みになっているのだ。治安上、安心といえば安心なのだが、少し複雑な心境でもあった。

 車を降りると、大きな傘を持った背の高い男が立っていた。もちろん黒人で、まるで格闘技の選手のようにがっしりとした体つきをしている。私はてっきり傘を渡されるのかと思っていたのだが、彼は傘をかざして中に入るように促してきた。これでは彼はぬれたままになってしまう。お大尽気分ではあるが、何か「過ぎた」感じだ。店員と客という関係ではなく、主人と召使いの関係を思い起こさせる。ここはいわゆる「選ばれた人」だけが来れるようなところなのだろう。「フォッフォッフォ!ご苦労、ご苦労!」とやれればいいのだが、もともとの貧乏性はそう簡単には抜けそうにないのだ。

 戸惑いながら案内されたところは、庭にポツポツと間隔をあけて立てられた小さな小屋のひとつだった。窓が大きく開け放たれており、むしろ東屋といった方が適切かもしれない。その四畳半ほどの小屋の真中にはテーブルが置かれており、グループが独立して食事を取ることが出来るようになっていた。小屋の数がどのくらいあるのかは分からないが、贅沢な造りだ。我々家族のとなりには、韓国人と思われるグループが、既に食事を取っているようで、焼肉の煙が匂いとともに立ち昇っていた。我々は2組目の客のようだ。

 庭はきちんと整備されていて、緑の絨毯がまぶしかった。雨が降っているのでよく分からないのだが、晴れた日には気持ちのいい散歩が出来そうな雰囲気だ。
 しばらく座って待っていると、すらりとした体型の黒人ウェイターが来てメニューを渡してくれた。中を見たところ通常の韓国料理のようだった。でも、量がわからない。「ポックンパプ」(辛いチャーハン)は320シリングで「タッカルビ」(鶏肉のカルビ)は1人前850シリングで、思ったよりも高かった。連れ合いといろいろ悩んだあと、タッカルビ、テンジャンチゲ、チャプチェ、タッカルビ用の白ご飯とポックンパプを1人前ずつとジュースを頼むことにした。ウェイターは注文を聞くと、特に反応を見せずに小屋を出て行った。

 しかし、しばらくして料理が運ばれてくると、我々の目は点になってしまった。まず、ポックンパプが運ばれてきたのだが、それはどう見ても2〜3人前の量がどっかりと盛られていたのだった。これだけでも食べきれるかどうか微妙だ。この調子だと、残りのタッカルビもチャプチェの様相も見えてきた、と思えたところにタッカルビが運ばれてきた。やはりそれは直径60センチくらいの丸い鉄板にどっかりと盛られていたのである。これも3人前くらいか。どう見ても食べられる量ではない。私は1人前を頼んだはずだったが、間違えたのだろうか。そう思ってウェイターに聞くと、「これが1人前だ」というのである。どうりで高いわけだ。そして、そのあとにムッチリと盛られたチャプチェとテンジャンチゲが追加されたころには、もう胃は破裂しそうになっていた。注文したから白ご飯も登場したのだが、もちろん入るわけがない。

 しかし、この展開は注文の段階で分かりそうなものだった。日本のレストランでは恐らく「お客様、これは食べきれる量ではないと思います」といったような忠告があるだろう。そう思うと、何もいわずに注文を取っていったウェイターに軽い怒りを覚えた。しかし、ここはアフリカだ。そういうものかも知れないし、そもそもお大尽のお店ではピッタリ食べられる量を注文するのではなく、こういう食べ方をするのかも知れない。やれやれ。このアフリカ大陸には飢えに苦しんでいる子供たちもいるのに。

 ただし、この店の名誉ために付け加えておくと、味はそこそこのものだった。韓国食材を手に入れにくいアフリカでという点を考慮すると、及第点をあげてもいいように思う。タッカルビはウェイターがちゃんと作ってくれるし、ナイロビで変わった料理を食べたいと思ったときにはいいだろう。しかし、量には気をつけねばならない。
 それからもうひとつ面白かったことを付け加えると、我々はウェイターに対して、終始韓国語で話しかけていたのだが、黒人ウェイターはペラペラとしゃべりはしなかったが、我々が話す韓国語を「フンフン」と言いながら聞いていて、パーフェクトに理解していた。韓国料理屋だから当たり前と言えばそうなのかも知れないが、ちゃんと教育されているのだなあと思うと、なんだか不思議な感じだった。

 ということで、大量に残った食べ物を前にして「持って返ろう!」とさんちゃんが言い出した。それはいい考えだ。韓国でもアメリカでも、残ったものを包んで持って帰るのは常識だ。それはここでも通用するはずなので頼んでみると、あっさりとOKだった。ま、持って帰れるのであれば、問題はない。
 しばらくすると、余った料理を大勢でわらわらと集めに来て、業務用アイスクリームの大型プラスチック容器などに次々と詰めてくれて、ラッピングが終了した。改めて見てみると、その持ち帰りの食料もたいした量だった。しかし、後でこの持ち帰り食材が役立ったりするのだから、旅の展開というのは分からないものである。




ソウルガーデン ナイロビ
まずはジュースが来た ここまではよかった



ソウルガーデン ナイロビ
パンチャン(おかず)類



ソウルガーデン ナイロビ タッカルビ
これが1人前とは・・・

05ジラフセンターとジラフマナー

 お腹も満足したところで、ナイロビ市内観光に打って出た。
 事前のガイドブック情報などによると、ナイロビ市内の観光名所というのは、あまりないようだったが、一ヶ所だけぜひとも行きたいところがあった。それは、「ジラフセンター(Giraffe Center)」だった。

 ジラフセンターは、絶滅の危機に瀕していたキリンを保護・育成する目的で、1972年に建てられた私営の保護施設で、キリンを直接触ったり餌付けをしたりすることが出来る場所である。連れ合いのさんちゃんは、本当はこのジラフセンターの隣にあるホテル「ジラフ・マナー(The Giraffe Manor)」に泊まりたがっていたのだが、子供連れはお断りとのことだったので、ジラフセンター訪問に切り替えたというわけだ。
 因みにジラフ・マナーに宿泊すると、庭にキリンがうろうろしているらしい。運がよければ、食事中の席に窓からキリンが首を突っ込んできてご挨拶、というようなこともあるらしく、何とか泊まれないか画策していたのだが、子供がダメな以上、選択の余地はなかった。むしろ、その「子供お断り」という態度があまり好きにはなれず、大人だけで泊まったとしても、我々はリラックス出来ないだろうと思った。それに、「キリンを触る、間近で見る」ということを実現するのであれば、ジラフセンターでも十分なのである。

 ナイロビ市内だからソウルガーデンからそう遠くはないと思っていたのだが、かなり飛ばしていたにもかかわらず、30〜40分ほど車に揺られることになった。車に揺られながら窓の外を見ていると、一区画がやたらと大きい地域を通過して行ったので、これはなんだろうとピーターさんに尋ねてみると、「白人の家がある高級住宅街」という答えが返ってきた。白人か、なるほど。ケニアにおいても白人と黒人の経済格差という図式は変わらないようだ。そして驚いたことに、その白人はケニア人でもあるそうだ。日本にいるだけでは分からない現実が、次々と目の前に提示されてくる。

 つまりその白人たちは、本国から一時的に来ている人たちではなく、随分前にナイロビにやってきた探検者たち(とあえて言っておこう)の子孫ということになるのだろうか。それが何十年前なのか、あるいは百年を軽く超えているのか分からないが、少し目のくらむ思いがした。ああ、遥かなるアフリカ。





Giraffe Center ジラフセンター
http://www.giraffecenter.org/
http://en.wikipedia.org/wiki/Giraffe_Centre
P.O. Box 15124 - 00509 Langata, Nairobi, Kenya
Tel/Fax:254 2 890952/891658
ジラフセンターは、ナイロビの中心からおよそ5kmほどはなれたLangataというところに位置しており、絶滅の危険にさらされているロスチャイルドキリン(giraffa camelopardalis rothschildi)を保護する目的で設立された。
設立者であるジョックレスリー・メルビルと彼の妻は、現在のセンターである自分の家でキリンを育てるプログラムを開始し、そのプログラムは大きな成功おさめた。そして、ケニヤの国立公園にロスチャイルドキリンを導出することにまでなったのである。

Rothschild giraffe
http://en.wikipedia.org/wiki/Rothschild_giraffe

The Giraffe Manor
http://www.giraffemanor.com/
P.O. Box 15004, Langata 00509, Kenya
Tel:254 20 3512956

06ジラフセンターを楽しむ

 さらにしばらく走ったところで、ジラフセンターに到着した。日ごろの行いが良かったからなのか、ジラフセンターに着くころには、すっかり雨があがっていた。あれほど降っていたのに、屋外観光を始めるのにあわせて止んでくれるとは、ついている。
 車を降りて入場料を買い、早速中に入る。すると正面に木で出来た2階建ての建物とその横に動物用の柵が見えた。そして、その2階建ての建物にはすでに数頭のキリンが折り重なるようにまとわりついていたのだった。
 近くに寄ってみると、テラスになっている2階部分から観光客がキリンに直接エサをあげている。なるほど、これか。キリンの足元には、イボイノシシが何頭も寝そべっており、キリンとイボイノシシが一緒に飼われているようだ。ところで、キリンの餌付けのエサはどこで買うのだろうと思いながら階段を上ると、2階テラス部分にいた係員と思しき人が、一つまみずつバケツから手渡していた。私も連れ合いもエサを受け取る。何か植物を乾燥させてペレット状にしたもののようだ。

 ところで、このジラフセンターに来た目的の一つに、「娘に動物と触れ合ってもらう」というのがあった。基本的にゲームサファリは「見るだけ」なので、娘は飽きてしまうのではないかというのが、旅行前の懸念材料だったのだ。そのため、「動物と触れ合えるところはないか」と、旅行前に徹底的にリサーチしたのである。その答えの一つが、このジラフセンターなのだ。その他にも、これから行く予定のケニア山「マウントケニア・サファリクラブ」の「アニマル・オーファネージ」(動物孤児院)や、「スウィートウォーター」での「サイ」(そう、あの大型動物のサイ!)との触れ合いなどを予定している。遊園地などが皆無のケニアで娘受けしそうなのは、これくらいしか思い浮かばなかったのだ。そしてこれはその第一弾だったのである。

 ところが、娘の海パダは、このキリンへの餌付けを断固拒否だった。キリンが大きく顔を覗かせているのを見て、私の後ろに張り付いて離れないのだ。「恐いの!」を連発して、全く近づこうとしない。娘のためにと思っていたのに、全く当てが外れてしまった瞬間だった。でも考えてみたら、キリンの顔は娘の体と同じくらいの大きさをしているし、これだけ近づくと恐くて仕方がないのかも知れない。ここは親が楽しむことにしよう。

 まずは私がキリンにエサをやってみる。キリンは手のひらに乗せているエサを見ると、顔を近づけてきて口を少し開いたかと思うと、長い舌でベロベロっと舐めるようにしてエサを掻っ攫っていく。うわ、これはすごくてエグい。キリンの頭部をこれだけ間近で見るのはもちろん初めてなのだが、この舌の長さ具合も初めての体験だ。人間によほど慣れているのだろう、頭をなでなでしてみても、特に気にする風でもない。バリバリとした固い毛が生えているところが野生を感じさせるのだが、この状態では野性に帰ることは難しいのではないだろうか。もうここに来た以上は、ここで一生を終えることになるのだろうか。などというようなことを考えていると、キリンと目が合った。もっとエサがほしいのだろうか。まつげが異様に長くて、目がクリッと丸くて大きい。角も触ってみたが、ふにゃふにゃとした感じだった。これは面白い。しかし、アンボセリで出会ったゾウと比べると、今ひとつ知性を感じないのが、なんか不思議な感じだった。ゾウの目はその裏に何か深い考えを秘めたようなオーラを帯びていたのだが、キリンはとにかくえさが食べたいだけ、というような感じだ。単なる偏見なのかもしれないが、そう感じてしまう。
 連れ合いと交替しながら一緒に写真を撮って何度も餌付けを楽しんだ。しかし娘は、一向に近づこうとしなかった。もともと恐がりのところがあるから仕方のないところだろう。でもせっかく来たのだからと思って抱っこして近づいてみると、大泣きして逃げてしまった。

 餌付けのあと、建物の2階部分にあった資料室を見学してみる。子供たちの絵などが展示してあった。そして階段を下りて庭へと戻ると、柵の向こうにイボイノシシが寝そべったままなのが見えた。サファリでは遠くからしか見えなかったのだが、ここでは目の前でじっくりと見ることが出来る。イボイノシシというだけあって、イボがたくさんあるのが特徴なのだが、牙も目立っていた。それに顔立ちも日本で見るイノシシとはかなり違った感じだ。日本のイノシシの顔が流線型のようなイメージなのに対して、イボイノシシは顔の先の部分が上下から押しつぶされた感じに見える。日本のイノシシがマグロなら、イボイノシシはヒラメといった具合だ。ディズニーのライオンキングにイボイノシシが出てくるが、実物を見るとよけいに「あの映画はよく特徴を捉えているな」と感じてしまう。

 連れ合いのさんちゃんは、ブタマニアと呼んでもいいくらい「ブタ」が好きなので、食い入るように見つめながら、「カワイイ」を連発していた。確かによく見てみると愛嬌のある顔をしている。ただ、野生のイボイノシシに比べると緊張感がない。草原にいて走り回ってこそのイボイノシシのように思うのだが、どうだろうか。もちろん、シマウマにしてもキリンにしてもそうなのだが。

 柵の横にはおみやげ物屋があったので中に入ってみると、動物に因んだおみやげがたくさん並べられていた。国立公園のロッジにいるとなかなかおみやげ物屋にめぐり合うことがないので、こういう機会に買っておこうと思った。もちろんロッジにはお土産コーナーもあるのだが、何か高級そうな香りがするし、素朴なヤツが今ひとつなかったのだ。この店にももちろん高級感溢れるものもあったのだが、スワヒリ語Tシャツとかジャンクなものもいくつかあったので購入する。それから、イボイノシシの小さなぬいぐるみがあったので、これも購入した。



Giraffe Center ジラフセンター
おお、キリンだよ。
建物の2階からエサをあげる人々が見える


Giraffe Center ジラフセンター
このようにキリンをなでなで出来ます。
もちろん、エサを与えることも可能!


Giraffe Center ジラフセンター
超アップ


Giraffe Center ジラフセンター
美しい・・・

07ナイロビ動物孤児院でチーターを触る

 ジラフセンターを後にした我々は、次の目的地である「Nairobi Animal Orphanage(ナイロビ アニマル オーファネイジ)」(ナイロビ動物孤児院)に向かった。正直言って、すごく行きたいところだったわけではないのだが、観光地が他にあまり思いつかなかったので、消去法的に選んだところだった。また、困ったら動物園、水族館、野鳥園というのが我が家の定番で、日本国内での旅行でもしかり、海外旅行でもしかりだったのだ。
 でも、あれだけ野生の動物を見ておいて、よりによって動物園かい。という意見もないではないだろう。実際、私も現地に向かいながらそんな思いでいた。しかし、ケニアの人も日常的にライオンなどを見ているわけではないだろうし、何か面白いことがあるかもしれないと気持ちを切り替えた。それに、キリンに続いて触れ合い出来る動物がいるかも知れない。

 ナイロビ動物孤児院は、ジラフセンターからそれほど離れてはいなかった。天気もすっかり回復していて、先ほどの雨がうそのように感じる。駐車場に車をとめてそこからブラブラと歩いていくのだが、娘の海パダがふざけて真っ直ぐ歩かなかった。するとそれを見たピーターさんがさっと娘の手を取ると、そのまますたすたと歩き始めた。なんと娘はというとそれに従って真面目に歩き始めたのだ。ピーターさんもピーターさんだが、娘も娘だ。何かちょっと違うアトラクションとかなのだろうか。

 そしてしばらく舗装された道を歩いていくと、目の前に「Nairobi Animal Orphanage」の看板が見えてきた。私は恥ずかしいことに、このときまで「orphanage」が「孤児院」という意味だということを知らなかった。なるほど。そう言えばジラフセンターも「orphanage」だった。ううむ、まだまだ語学の道は遠し、である。

 ナイロビ動物孤児院の入口は看板の奥にあり、ピーターさんが係員となにやら話をしていた。そして入場料を告げたのだが、なんと3人で25ドルだった。なんと、高額な!ちょっと驚いてしまった。しかし、これは寄付込みなのだろうと思い直して、券を買って中に入った。
 しかし、中は閑散としていて動物も少なく、またいる動物のほとんどがライオンだった。動物園的なものを期待していたのだったが、完全に目論見を外された感じだ。10分か15分ほどでぐるっと一回りしたところで、娘も完全に飽きたようだった。

「もっと動物はいるの?」
 娘が聞いてきたのだが、どう見てもライオンとチーターとダチョウ、それに猫くらいしか見つからないのだ。これは動物園というよりは「猫園」だ。そして、動物よりもむしろ社会見学に来ていると思われるナイロビの小学生たちの団体客を見ている方が、よっぽど興味深かった。やれやれ。彼らはお揃いの制服を着て、女の子も男の子もきれいに髪の毛をまとめており、体型もファッションもすごくスマートだった。つぶらな瞳がとてもカワイイ。私は動物よりも彼らの方がよほど気になったのである。でも、彼らとしても我々や娘の海パダに興味津々のようだった。そりゃ、普段見慣れたライオンよりも東洋人の子供の方が数倍珍しいだろう。しかし、せっかく来たのにこれでは・・・と思いながら歩いているところで、係員が声をかけてきた。

「ハロー! どうです?今からチーターにエサをあげるのですが、一緒に中に入って写真を撮ったりすることが出来ますよ。見に来ませんか?」
「え?一緒に中に入る?」
「ええ。檻の中に入れますよ。慣れていますし、エサを食べている間は、チーターを触ることが出来るんですよ」
「ホントに?!」

 なんと。チーターを触れると?チーターとの触れ合い?これは意外な展開だ。急いで係員の後について檻の前まで行くと、既にチーターにはエサが与えられていて、観光客が檻の中に入っていた。英語の聞き間違いではなく、本当だったのだ。
 檻のドアのところには、既に何組かの白人たちが待っていたので、その後ろで待つことにした。しかし、チーターを触れるとは、事前の情報収集では得られなかった。瓢箪から駒、とでも言うべきところだろうか。全く意外なところから意外なものが出てくるものである。

 待っている間に、「大丈夫だからね」と娘によく言聞かせる。娘も少し恐いような素振りをしていたが、大人たちが平気で触っているのを見て、少し安心したようだった。これが、もうちょっと年齢が行っていると、逆にチーターが何モノかが分かっていて、檻に入らなかったかも知れない。

 我々の番になったので、檻の中に入ってみる。チーターは木製のテーブルの上で、わき目もふらずエサを食べていた。係員に促されて、そのテーブルの横まで行く。そしてチーターを触ってみた。少し毛がゴワゴワしているが、全体としてはやはり猫、という感じの体つきだ。しかし、大きい体、大きい足、大きい尻尾だ。チーターを触れるとは思いもよらなかった。息遣いも伝わってくる。お腹が動くのが分かる。肉に合わせて顔の向きを変えながら、一心不乱にエサを食べている。これは迫力だ。

 しかし、それにしてもチーターがここまで人に慣れるというのは、驚きである。観光客に開放しているということは、かなり慣れているということなのだろうが、つい先日、野生のそれを見たばかりなので、なおさら不思議な気がした。子供の時から育てたとはいえ、野生というのはそんなにあっさりと放棄されるものなのだろうか。
 「写真を撮りましょうか?」と係員が聞いてきたので、カメラを渡す。家族3人とチーターとで記念写真を撮った。後で写真を見てみると、娘の海パダは終始怪訝そうな顔でチーターを見ていたようだった。そりゃ、恐かったんだろう。しかし、これは予期していなかった分、よけいに貴重な体験となった。

 このあと、山猫の檻にも入れてもらったりしたのだが、チーターの餌付けに入れてもらえなかったら、かなり時間を無駄にしたような気になっていたと思う。あえて訪ねるのであれば、チーターの餌付け時間に合わせていくことが重要ではないだろうか。




Nairobi Animal Orphanage (ナイロビ動物孤児院)
ナイロビ国立公園内にある動物孤児院

ナイロビ国立公園のHP
http://www.kws.org/nairobi.html




ナイロビ孤児院
ナイロビ動物孤児院入り口



ナイロビ孤児院
閑散としている!!



ナイロビ孤児院でチーターを触る
チーターをなでなでしてみました

08ナイロビ フェア ビュー ホテル

 「Nairobi Animal Orphanage」を出発した車は、ようやく今晩の宿となる「Fair View Hotel」(フェアビューホテル)に向かった。既に太陽は傾き始めており、オレンジ色の光が長い影をつくりつつあった。今日の長かった一日も終わりを迎えているようだ。ナイロビの街には相変わらず車と人が溢れており、道を歩く人の列は切れることがなかった。家路に急ぐ人々だろうか。しかし、そのすぐ横を車で移動する我々は、この都市を通過するただの風といった感じだった。そこにはあまりにもたくさんの生活があり、目の前に見えているのに我々からは遠い世界のように写るのである。車の窓ガラス一枚隔てただけだというのに。

 車はいくつかの検問を抜けて、やはり入口にあったゲートを通って、ある建物の中に入っていった。「Fair View Hotel」だった。時刻は17時を差していた。
 玄関前についてまず驚いたのは、このホテルが予想よりもえらく豪華だったことだ。ホテルというよりはお城というような雰囲気で、古い洋館を改造してホテルにしただけのことはあった。もちろん近代的なホテルは、それはそれで快適なのだが、重厚さはなかなか楽しめない。これはいい趣向だ。私は一目で気に入ってしまった。
 フロントでチェックインを済まして、ピーターさんと別れる。また明日の朝にピックアップしに来てくれるのだ。

 その後、荷物を持って2階に上り、部屋に入ってまた驚いてしまった。というのも、ものすごく広い部屋だったからだ。ベッドが二つ置かれているが、それ以外のスペースが実にゆったりしていて、2〜30人で宴会が出来そうなくらいだった。デスクもゆったりと置かれ、木彫りのゾウなども配置されていた。それにバスルームも驚きの広さで、1泊だけではもったいない気がした。もちろん、今までいたロッジの部屋が狭かったせいもあるのだろうと思うが、これはゆったりしている。
 ベッドに寝転ぶと、疲れが出てきたのかひどく眠くなってしまった。それは、さんちゃんも娘も同じようであった。そろそろ夕食の段取りを考えなくてはならないのだが、「夜の外出は非常に危険」とピーターさんから聞いていたので、夕食はホテル内で取るしかない状況だった。ホテルのレストランに行くのは何か大層に思えたし、疲れているし、部屋でゆっくりと食べたいなと思っていたところ、先ほどの韓国料理屋で包んでもらった食材を思い出した。それは、3人で食べるのに十分な量だったのである。

 食事の時間までまだ少しあったので、家族三人でホテルの中を散歩してみる。
 ロビーまで下りていくと、日本料理屋があるらしく、板前の格好をした黒人従業員が歩いていた。ニューヨークなどでは珍しくないのだろうが、やはり目を引いてしまう。すれ違うと酢の匂いがした。寿司屋の板前のようだ。

 そのまま建物を出て、花の咲き乱れる中庭を抜けていくと、大きめの楕円形プールが冷たい水をたたえていた。水面から、ひんやりとした空気が上がってくるような気がする。すっかり暗くなったところにライトアップされた光がゆらゆらと揺れていて、それが余計に寒さを感じさせる。思わず震えが来る。そしてこの震えが、ナイロビが高地にあることを改めて思い出させてくれるのだ。日が落ちてしまうと、上着がなければ外出できないほどになるのだ。

 プールサイドに置かれているベンチ横では、かがり火が焚かれており、暖が取れるようになっていた。メラメラと燃える暖炉に近づいてみると、なんだか不思議な気持ちになる。今も昔もアフリカもアジアも、みんなこのかがり火にお世話になってきたのだなと、ふと思う。アフリカに来て以来、人口光ではないナチュラルな光源につい目が行ってしまう。そして、それがとても落ち着きをもたらしてくれることを、再確認するのだ。

 かがり火でしばらく暖を取ったあと部屋に戻ることにしたのだが、途中でビジネスセンターを見つけたので、そこでアフリカに来て初めてのインターネットをしてみることにした。
 ビジネスセンターは、やや安っぽいネットカフェといった感じのつくりで、クリーム色に塗られた大きめの部屋にパソコンが何台か並んでいるだけだった。私の他には誰も利用している人がおらず、暗めの照明の下、周辺機器のブーンという音が響いていた。
 娘と連れ合いを先に部屋に戻して、接続してみる。光ファイバーに慣れた身にはやや厳しい通信環境で、写真がカクカクと出てくるのを久しぶりに体験した。やはり、いわゆる「モデム」で通信しているのだろうか。そう思いながら自分のホームページを表示してみると、カクカクとしながらも日本語が正しく表記されていた。繋がっているのだ。アフリカのパソコンに表示される日本語は、なんだか不思議な感じがしたのと同時に、この建物の中のほとんど全員が理解できない文字を健気にも表示しているパソコンが、なんだかたまらなく愛しく感じた。しかし、表示は出来ても入力は出来ない。もちろん、システムをちょっといじれば出来ることは分かっていたが、やめておくことにした。アジアのネットカフェならオーナーに話をしてシステムをいじるところなのだが、ホテルではそうもいかないだろう。ベトナムでは、私が日本語入力できるようにした次の日には、「日本語入力可能!」という大きな張り紙が表に貼られていたものだが、ここアフリカでは日本語入力ができるようになっても、それほどのメリットはないだろうから。

 しばらくネットを楽しんだあと部屋に戻ると、娘と連れ合いは既にお風呂を済ませていた。昼間に詰めてもらった韓国料理を部屋で食べたあと、私も簡単にシャワーを浴びて寝ることにした。明日は、赤道観光をしたあと、ケニア山のマウントケニア・サファリクラブを訪問する予定だ。



(子供連れケニア・サファリ旅行記7 ナイロビ編2 了)


日の暮れようとするナイロビの街
日の暮れようとするナイロビの街



ホテル概観



ベッドをくっつけて真ん中に娘を寝かせるのだ!



夜のプールサイドでポーズ


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